【専欄】誰が習近平を監督するのか 元滋賀県立大学教授・荒井利明

 無謬(むびゅう)の指導者など存在しない。それは文化大革命(文革)の貴重な教訓の一つである。「偉大な指導者」と言われた毛沢東も、誤りのない「神」ではなく、時には過ちを犯す「人」だったということである。中国の人たちは多大な犠牲の上に、それを学んだのである。

 文革が終わってから40年以上もたった今、文革の教訓を持ち出したのは、習近平をめぐる最近の中国の動きに、大きな違和感を覚えたからである。

 習近平が中国の最高指導者のポストである共産党総書記に選出されたのは、2012年秋の第18回党大会においてである。前任の胡錦濤は「弱い指導者」で、重大な決定が先送りされ、決定された方針も末端にまで徹底せず、胡錦濤時代は「失われた10年」とさえ評される。

 その反動として、習近平時代には「強い指導者」と「決められる政治」と中央の方針の地方への徹底が求められ、習近平に権威と権力をある程度まで集中することにおいて、党中央指導部の見解は一致していたといわれる。だが、その集中は、党中央指導部における当初の暗黙の合意を越える程度にまで強くなっているのではないか。

 例えば、「党中央」と「習近平」を並べる表現に、私は違和感を抱く。習近平も党中央の一員であり、党中央とは別に存在する指導者、まして党中央の上に君臨する指導者ではないはずである。

 党機関紙「人民日報」は先月下旬、党中央政治局の新たな規定にのっとり、各政治局員がこのほど、「党中央と習近平総書記」に最初の業務報告を提出したと伝えた。こうした報告は年に一度、必ず行われることになったというのである。

 人民日報によると、習近平は各政治局員の報告を丹念に読んだ上で、職責や活動などについて、「重要な要求」をしている。政治局員全体に対する「要求」に加え、各政治局員に対する「個別の論評」も行ったという。また、重大問題については、「速やかに、自発的に、党中央と習近平総書記」に報告し、指示を仰ぐ制度もすでに設けられているという。

 昨秋の第19回党大会で選出された政治局員は習近平も含めて25人だが、習近平はこの業務報告を提出したのだろうか。それを党中央指導部は検討し、習近平に何か「要求」をしたのだろうか。それとも習近平は業務報告などしなくてもよい存在なのだろうか。(敬称略)