日本文化にある「不均衡の美」 在伊の建築家の気づきから (1/3ページ)

ノヴィラーラの小道
ノヴィラーラの小道【拡大】

  • ノヴィラーラ近くにあるジュリア-ノ・ヴァンジの彫刻作品
  • ノヴィラーラからアドリア海をのぞむ

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 イタリアのクラシックカーの曲線は素晴らしい。そう長く語られてきた。ファッションも同様で、そのシルエットが賛美されてきた…とぼくは思っていた。日本の人も「イタリアのラインはセクシーですよね」と指摘することが多い。

 が、今週、アドリア海をのぞむノヴィラーラという中世の街に住む建築家・渡邊泰男さんのご自宅で話していて、自分の考えを整理しないといけないと気づいた。

 渡邊さんは半世紀近くの間、イタリアを拠点として仕事をしてきた。日本では槇文彦、イタリアではジャンカルロ・デ・カルロという2人の巨匠のもとで設計活動をした後、マルケ州で仲間たちと独立した。

 デ・カルロから「単なる建物ではなく、建築空間を仕事の対象とするように」と助言を受けていた渡邊さんは、独立後も学校など多くの公共建築を手掛けてきた正統派の建築家である。

 その彼がグラッパを口にしながら、次のようなことを語った。

 「ぼくの手で描いた曲線を、イタリア人や欧州人のスタッフは設計図に落とし込むのにすごく苦労してきた。ぼくの目からすると彼らのラインにはどうも違和感が残る。日本人スタッフの方がぼくの曲線を上手く扱うことが多い」

 欧州人の描く曲線に「人工的な印象」をもつのだという。

 「コンパスや定規を使っていなくても、それらを使って描いたような雰囲気がある」と話す。

 そう説明しながら、日本と欧州の建築家やアーティストの作品集をテーブルの上に積み上げ、それらのスケッチの数々を示していく。確かに、日本人のスケッチにみる曲線の方が有機的な印象を受ける。

直線なら違和感の正体が見えやすいが…