【論風】いかに生きるか 「公」と「私」バランスが大事 (1/2ページ)

 2020年春に卒業予定の学生の就職活動が3月1日の説明会解禁から本格的に始まった。リクルートスーツに身を包んだ大学3年生の姿を街でもキャンパスでも多く見かけるようになった。(國學院大學学長・赤井益久)

 その就職だが、売り手市場で企業は採用に苦労している。学生が真っ先に尋ねるのは、休暇など福利厚生だと聞く。以前と違って自分本位だ。自分の生活を大事にするのも必要なことだが、「公(仕事)」と「私(プライベート)」のバランスが求められる。「私」を持てずに「公」だけでは精神や生活のリズムを崩してしまう。とはいえ、仕事を辞めて自分の生活だけで満足できるかというと、決してそうではない。

 人は生きがいを求めるからだ。社会に役立ち、人から認められ、褒められたいと誰しも思う。社会的に価値ある人として認知されることだ。しかし、「公」優先の会社人間はプライベート時間に、世のために汗をかくという社会貢献ができるかというと簡単なことではない。やったことも考えたこともないし、日本の社会に用意されているわけでもない。

ミスマッチは当然

 私は横浜の下町で育った。子供の頃、社会的に認められる「存在感のある」老人が多くいて、祭りなど地元の行事を差配していた。公私のバランスが取れていたからこそ、地域住民から一目置かれていたといえる。一流企業に勤めていた人がその役割を果たせるかというと必ずしも容易なことではないだろう。やりがい、生きがいを持てるのは幸せなことだ。

 大学を卒業した若者のうち、就職して3年で30%がやめるといわれる。この離職率を学長として改善したいと考えてきた。その一方で、企業は多種多様であり、就職してミスマッチが全く起きないのもおかしなことで、ありえないことでもある。

 「満を持す」というが、弓をいっぱいに引いて離すと矢が勢いよく飛び出して的を射ることから、弓を思い切り引いて、その状態を維持することを意味する。つまり十分に準備して機会を待つことをいう。

 大学生は社会に出る準備期間として4年間を大切に使ってほしい。大学は生き方のヒントを与えるところであり、学生の失敗やつまずきを許容し、やり直しを認める文化を持つ。産業界、社会で伸びていける人材、役立つ人材を育てることを使命としているからだ。

「春回大地」