技術博物館設立への一里塚、日本戦車の里帰り計画が始動 試される“温故知新” (2/4ページ)

英国で里帰りの日を待つ九五式軽戦車(防衛技術博物館を創る会提供)
英国で里帰りの日を待つ九五式軽戦車(防衛技術博物館を創る会提供)【拡大】

  • ドイツのジンスハイム自動車・技術博物館。スポーツカーやヘリコプターの展示の奥には、かつての西ドイツで使われた戦闘機が飛行状態で展示されている(2002年10月、岡田敏彦撮影)
  • 第二次大戦中に戦闘機を作っていたハインケル社が戦後に作ったスクーター。技術と社会の変遷を体感できる膨大な展示は欧州最大規模とされる(独ジンスハイム、2002年10月、岡田敏彦撮影)
  • 川崎重工により見事に復元された旧陸軍の戦闘機「飛燕」。その技術を継承した同社の最新バイクとともに展示された(2016年11月、岡田敏彦撮影)
  • 映画撮影用の大道具として作られた九五式軽戦車のレプリカ。車上の小林代表理事が海外から入手後、資料を基に大幅に手を加え、外観は実物と区別がつかないほどに再現されている(2018年4月、岡田敏彦撮影)
  • 川崎重工により見事に復元された旧陸軍の戦闘機「飛燕」(2016年11月、岡田敏彦撮影)
  • ジンスハイム自動車・技術博物館の展示物のひとつ、英国デ・ハビランド社のDH-100「バンパイア」。パトカーや機関車、グライダーなどと共に、分け隔てなく展示されている(2002年10月、岡田敏彦撮影)
  • ジンスハイム自動車・技術博物館の膨大な展示の一部。手前にはクラシックカーが、奥には船舶用の大型エンジンや機関車、グライダーなどが所狭しと公開されている(2002年10月、岡田敏彦撮影)
  • ジンスハイム自動車・技術博物館で2002年当時展示されていた第二次大戦時ドイツ軍の自走砲シュトルムティーガー。世界に2台しか残っていない希少車。上右はパンター戦車、下左は米軍のシャーマン戦車(岡田敏彦撮影)
  • ジンスハイム自動車・技術博物館でスポーツカーや蒸気機関車などと共に展示公開されてる第二次大戦時独軍の主力戦車「パンター戦車」(2002年10月、岡田敏彦撮影)

 同会は日本初の小型四輪駆動車「くろがね四起」をスクラップ状態から新車同様にまで修復(レストア)して注目を集めたが、この際はクラウドファンディングで1300万円あまりの寄付金が寄せられた。この実績を足がかりにして、今回は日本の軽戦車「九五式」の里帰りを計画した。同会では恒久的な保存・展示を目指し、将来的には会の名称通り、防衛技術に関する車両類を集めた博物館を設立する構想を持っている。

 実は、こうした技術遺産の保存や継承という面では、日本は進んでいるとは言い難い。

 欧米との差

 ドイツは日本と同じく第二次世界大戦の敗戦国だが、欧州トップクラスの規模を持つ「ジンスハイム自動車・技術博物館」(ドイツ南西部バーデン・ヴュルテンベルク州)がある。「自動車」と名付けられてはいるが、欧州各国の戦闘機や戦車など多数を所蔵、展示。自動車史に残るクラシックカーやバイク、蒸気機関車と等しい扱いで展示されている。政治や思想を抜きに、技術発展の歴史として評価されているのだ。まさに「技術史のマイルストーン(一里塚)を発見する場所」(同館)だが、その規模からは信じがたいが、同館は私有で運営されている。

 米国ではスミソニアン博物館が世界的に有名だ。国立だけに、歴史の証拠を残そうという意志は並々ならぬものがある。

 米国は第二次大戦の戦勝国だが、当時の敵だった日本やドイツの軍用機の保管と復元に並々ならぬ力を注いできた。零戦などの著名機はもちろん、日本の夜間戦闘機「月光」や、ドイツのHe219「UHU」(ウーフー)など、世界で現存する唯一の機体も多く所蔵している。

“生き証人”として