【震災遺構のいま】教訓、1000年先まで 10日に公開、気仙沼向洋高・旧校舎 (2/3ページ)

震災遺構として一般公開される気仙沼向洋高の旧校舎。今も津波で流された車が教室内に残る=宮城県気仙沼市(川口良介撮影)
震災遺構として一般公開される気仙沼向洋高の旧校舎。今も津波で流された車が教室内に残る=宮城県気仙沼市(川口良介撮影)【拡大】

 だが、市内では関連死を含む死者、行方不明者は1357人を数えた。階上地区の住民も多く含まれ、海抜11メートルの高台に避難していた住民もいたという。

 芳賀さんは「定期的に避難訓練もして、その避難場所に逃げて犠牲になるなんて考えもしなかったろう」と話す。

 津波の脅威を確実に受け継ぐためには、どうすればよいのか。市が選択したのが、爪痕が残る校舎を震災遺構として整備し、公開することだった。

 施設は整備を終え、震災8年を翌日に控えた10日にオープンした。隣接する伝承館では、住民の声が入った津波の映像が流され、芳賀さんも語り部(べ)として啓発の陣頭に立つ。「同じ顔の津波は来ない。大地震が来たら安心せず、少しでも高いところへ避難するということを理解する教訓の場にしてほしい」

 暮らしていた証し

 震災の爪痕を残す遺構は「見たくない」とする住民もいる。だが、それがなくなると、記憶は薄れ、そこで生活をしていた証しまで消えてしまう。そんな住民らの危惧からも遺構として残された施設がある。仙台市若林区の荒浜地区にある旧荒浜小だ。

 地区は、海のすぐそばでほとんどの住宅が津波で流された。地区で生まれ育った庄子智香子さん(65)の自宅も「基礎だけ残し全部流された」という。

 この地で再建を望む者もいたが、市は平成23年12月、地区の多くを災害危険区域に指定。住民は転居を余儀なくされ散り散りになった。

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