【IT風土記】佐賀発、職人芸継ぐ「デジタル技術」、有田焼の逆襲はじまる
誕生400年の節目を迎えた有田焼の産地として知られる佐賀県有田町で、ICT(情報通信技術)を活用して、有田焼の復活を目指す挑戦が始まっている。バブル経済の崩壊を機に、技術伝承の危機に陥った産地が、日本のものづくりの進化を支える革新技術を、伝統工芸品に応用しようという試みだ。コンピューター制御された「3Dプリンター」を活用する技術は、失われつつある職人の技を受け継ぐ“切り札”として期待が高まっている。(早坂礼子)
業務用食器として重用
有田焼は江戸時代の初めから佐賀藩の保護と監視のもとで順調に発展した。明治時代にはパリ万博で最高名誉賞を受賞して世界に認められ、昭和の高度経済成長には国内需要が急拡大して広く親しまれた。
透明感のある白地に、赤や緑、金銀など華やかな絵付けの有田焼の器を重用したのはホテルや旅館などの宿泊施設だ。右肩上がりの経済成長の中で、結婚式や宴会需要が旺盛で、消耗品である食器を大量に発注することが多かったという。有田焼の産地にとっては、こうした大口顧客による安定的な取引に支えられ、安泰な時期が長期間続いた。
ところが、1990年代初めのバブル期をピークに有田焼の産地は凋落の長いトンネルに追い込まれ、現在に至るまで、スランプを脱出できないでいる。有田焼の窯元や商社で構成する佐賀県陶磁器工業協同組合の製品出荷額は、1990年前後の約420億円から昨年は約95億円と大幅に減少。工業用セラミックなどを除く食器ベースの生産額でみても現在は約80億円とピーク時の7分の1の水準に落ち込んでいる。
時代に乗り遅れる
バブル崩壊後、官官あるいは官民接待の自粛で交際費が減り、主力の業務用食器の需要が急減したことが響いた。安価な生活雑器や輸入品が普及して家庭用食器でも苦戦した。ライフスタイルが変化してシンプルモダンなデザインの食器が人気を集める時代になった。
「有田には華麗な装飾を施す職人はたくさんいたが、売れ筋のデザインにシフトしようとしても感性が追いつかない。有田は時代の変化に乗り遅れた」。佐賀県陶磁器工業協同組合の原田元理事長はこう振り返る。
有田焼は職人たちによる完全な分業制だ。原料となる陶石を採掘して粉砕し陶土をつくるところから始まる。次に陶土をロクロで成型するか、量産する場合は製品の原型となる鋳込み型を石膏でつくり、そこに陶土を流し込む。それを素焼きして、下絵を付け、釉薬をかけ、本焼きをし、最後に上絵を付けてようやく完成する。
地元企業の社員数は平均10人前後で、夫婦と子供だけという小規模なところも少なくない。需要減のなかで生き残っていくには、活躍の場がない高齢の職人たちを整理せざるを得なかった。
いま残っている職人の平均年齢は60歳前後。団塊の世代が多く、いずれリタイアの時期は来る。「このままでは後を継ぐ人が育たない」(原田理事長)。なかでも、石膏で型をとる型職人の激減は深刻で、「いま型職人を抱えているのは有田で20軒もない」(同組合の百武龍太郎専務理事)という。
気心が知れた専属の型職人と以心伝心で創り上げてきた有田焼は風前の灯火だ。このまま何もしないでいては有田焼400年の技術が失われてしまう。関係者は危機感を募らせた。「なんとかしなきゃいけない」。そこへ救世主が現れた。日本の産業界に革命をもたらした「3Dプリンター」である。型職人の技術をICT(情報通信技術)で再現するという産地の逆襲が始まった。
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