故郷の料理振る舞う居酒屋をオープン 脱サラした青森出身の女将 ブログで集客

 
女将の茂木さん。今後は「食と青森」というテーマの他に、「健康」などにも取り組んでいきたいとのことだ

 脱サラをしてお店を開く。サラリーマンやOLの方なら心の片隅にそんな夢を持っている方も多いのではないか? 毎日、通勤電車に乗って、何気ない気持ちで会社に行くよりは自分の店を持ちたい。自分の城を持ちたい! けど、今は資金もないし、まだ怖い。退職金でももらったら趣味を生かして店を開こう。そこまで待てますか?

 「店を開きたい」と思った時に着手するのが一番かもしれない。

▽食品会社からの転身…故郷を食で盛り上げたい

 今回は、食品会社で商品企画の仕事をしていた1人のOLさんが、自分の故郷の料理を振る舞う居酒屋を開いて繁盛させるまでを追ってみた。

 2011年、当時39才で東京都新宿区荒木町に「青森PR居酒屋りんごの花」をオープンさせた茂木真奈美さん(45)。茂木さんは懐かしそうに当時のことを語ってくれた。「会社員時代は、仕事上、全国で多くのメーカーの方と会い、その土地の名産品を食べに連れて行っていただきました。ただ、その度になぜか自分の故郷の食べ物が懐かしくなってしまって…。と同時に、当時は漠然と『私の人生はこのままでいいのか?』と思っている時期でもありました」

 「そんな時に、『女性のための起業塾』のようなところに一度参加してみたんです。そこで私のキーワードは『食と青森』だな、と漠然とですが考えるようになりました。そこから『青森を食で盛り上げる』というテーマのブログも初めたんです」(茂木さん)

 その頃はまだ茂木さんは居酒屋をやろうとは決めていなかったという。ブログで「食と青森」を中心に自身の情報を発信していくうちに、いつのまにか居酒屋をやることに決まっていった。きっかけはすべて茂木さんのブログからだった。この時代ならではの進め方だ。

▽東日本大震災からの再起

 「共同経営者の小池(政晴さん)は当時からの同僚です。当時私達がいた食品会社は、レストランやお惣菜を製造販売する部署もあり、小池はレストランの厨房、私もお惣菜を作っていたので、飲食業界の経験があったこと、また居酒屋の場合はお客様に食材やお酒の魅力を直接伝えられるということも居酒屋を始める決め手になりました」(茂木さん)

 茂木さんは同僚の小池さんと一緒に脱サラをして、11年1月に荒木町に「青森PR居酒屋りんごの花」をオープンした。しかし、端から茂木さんたちに苦難が襲う。そう、同年3月に起きた東日本大震災だ。対策をいくらしても、飲食店経営となると茂木さんも小池さんもまだまだ駆け出しだ。そこで飲食コンサルタントの方にアドバイスをもらったという。

 「お店の場所は駅前でもなければ通りに面しているところでもありません。なので、黙っていてもお客様が入ってくるような店ではありません。そこで私はオープン前からやっていたブログを1日3回書きました。それも『四谷3丁目』とか『曙橋』とか『青森』とかキーワードを意識して。それでグーグルの検索結果の順位がどんどん上がっていきました。お客様が増えていったのはそこからですね」(茂木さん)

▽13万回も再生された動画

 何と、オープン前からやっていたブログが集客ツールにもなっていたのだ。一見ローカルな居酒屋だが、こんなにもITツールをフル活用して運営している個人居酒屋もそうそうないのでは-。他に繁盛のきっかけはあったのだろうか?

 「当時、某アイドルグループの踊りをいろんな企業や自治体などのグループが自分たちで踊って、動画に撮って動画サイトにUPするというのが流行っていたんですよ。その「青森県バージョン」とうのがありまして。それは小池が指揮を取って青森県の自治体やお店の協力を受けてつくったものなんです。最初は全然私も小池も『狙って』はいなかったのですが、13万回も再生されてしまいまして(笑)。それからさらにお客様が増えました」(茂木さん)

 図らずもかも知れないが、動画サイトまでフル活用していたなんて。これからはWEBやブログ、SNSなどを上手く使って情報発信をしていくべきだという言葉をよく聞くが、それを地でいくようなお店、意外にもそれが「青森PR居酒屋りんごの花」だった。(ジャイアント佐藤/5時から作家塾(R))

 《5時から作家塾(R)》 1999年1月、著者デビュー志願者を支援することを目的に、書籍プロデューサー、ライター、ISEZE_BOOKへの書評寄稿者などから成るグループとして発足。その後、現在の代表である吉田克己の独立・起業に伴い、2002年4月にNPO法人化。現在は、Webサイトのコーナー企画、コンテンツ提供、原稿執筆など、編集ディレクター&ライター集団として活動中。