「自分勝手」に気分転換できているか 楽しく仕事をするために

 

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 日本のわりと硬い企業の方と話していて「イタリアは出張しづらいです」という愚痴を聞くことがある。

 イタリア出張というと仕事にかこつけて遊びに出かける、と勘違いされる。「いい思いを1人でしやがって」という同僚の嫉妬心もあり、それを回避するのが殊のほか、面倒だという。英国やドイツへの出張では、そういう摩擦が起こらない。

 さらに解説を加えると、硬い企業でも既にイタリアでビジネスをしていればいいのだが、「新規事業の可能性を探る」「市場の動向を見極める」というステップで足をひっぱりたがる輩がいる、ということだ。

 しかし、これは日本の硬い企業だけでなく、例えばアジアの新興国の職場でも似たような現象はあるらしい。イタリアの人たちと仕事をしていると楽しそうに思われるのだ(残念ながら、日本の人たちとの仕事は楽しそうと羨ましがられないようだ)。

 さて最近、日本のメディアをみていて、「仕事を楽しくする」「楽しそうに見せないとね」という文章をさかんにみる。ぼくも、趣旨に賛成だ。

 が、ふと思うのだ。

 こんなに外国人から楽しそうと言われるイタリア人自身、「これ、楽しいだろう」と皮肉も込めて言うことがあっても、「仕事は楽しくないとね」なんてセリフを日常で言い聞かせるように、そうそう言っているわけでもない。

 かなり眉間にしわ寄せて仕事をし、デスクをバンバンと叩きながら怒りまくっている。攻撃的であろうと控えめであろうと、とにかく、その場面でちっとも楽しそうではない。

 しかし、山場を越えて同僚とバールでカフェを飲んでいる時、その直前の血相を変えた顔を思い出し、2人で笑いこけていたりするのだ。

 楽しいとは、その振る舞いだけを問題にしているのではない。やっている仕事自体が、今まで誰も手を出していないとか、失敗しても立ち直る転換が見事とか、仕事のコンテンツややり方も範囲に入っている。

 だらだらとずっと同じことをやっている。「いや、私は集中力が3日間くらい続く」と胸を張る人もいるが、それはたいていの場合、「豪語」に過ぎない。これを他人が楽しそうと見るのは厳しい。

 いや、だいたい楽しそうに見えるかどうかを気にするのは、楽しそうではない。そもそも、そういうことを考えないでやるのが、楽しさのベースにないとおかしい。

 ひっくるめて言えば、生活のリズムの切り替えが見事。これに尽きるのではないだろうか。

 仕事でどんなに辛く逃げ出したいと思うような境遇であっても、日常生活で習慣的にやることは欠かさない。そうして仕事をズームアウトしてみる。

 切り替えとは、あることを相対化することである。相対化してみるから、さまざまな苦労を笑いのネタにもできるのだ。 

 そうすると、1日24時間のなかでいろいろな世界をもつ。そのために旅を出て多くの人と出会う。こういう結論がでる。または、こういう結論がでやすい。

 だが、ここでも「待てよ」と思う。

 一日中、工房で黙々と手を動かす職人は、その工房から出るまでは切り替えの暇がないのか? そうではないだろう。社外の人たちとの付き合いが多い人でなくても、複数の世界を職場で味わえないと、楽しさの真意を分かったことにならない。

 複数の世界を一日のなかで経験できるとは、人の内面で複数の世界を行き来することを指す、というのが妥当な解釈になる。

 自分1人で多角的に考える。このプロセス自体をズームアップやズームアウトするのが、切り替えなのだ。「自分勝手」に気分転換できている人が楽しい。(安西洋之)

 筆者が企画に参画しているセミナーが2018年1月13日「ビジネスは魅力的なアート?」と19日「サスティナビリティある愛とは?」の両日、立命館大学東京キャンパスで開催されます。

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【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)

上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『デザインの次に来るもの』『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。ローカリゼーションマップのサイト(β版)フェイスブックのページ ブログ「さまざまなデザイン」 Twitterは@anzaih

ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。