月10万でも首都圏から広島へ “市長補佐の副業”に応募した395人の動機とは

提供:PRESIDENT Online
転職サイト「ビズリーチ」での募集ページ。現在は募集は終了している

 昨年11月、広島県福山市が兼業・副業を前提に「戦略推進マネージャー」を募集したところ、395人の応募が集まった。その大半は首都圏在住の30~40代。報酬は1日2万5000円で、月4回程度のため月額10万円程度にしかならない。それでも「副業」をしたいのは、なぜなのか--。

 厚労省の「モデル例」が副業OKに変わった

 兼業・副業に対する関心が高まっている。そのきっかけは今年1月31日の「モデル就業規則」の改正だ。厚生労働省は労働基準法にもとづく就業規則について、ウェブサイトにモデル例を掲示している。これまでは「兼業・副業禁止」の就業規則がモデル例だったのだが、これが今回、次のように改正されたのだ。

 (副業・兼業)

 第67条 労働者は、勤務時間外において、他の会社等の業務に従事することができる。

 2 労働者は、前項の業務に従事するにあたっては、事前に、会社に所定の届出を行うものとする。

 厚労省労働基準局監督課の解説では、その理由として「副業・兼業について、裁判例では、労働者が労働時間以外の時間をどのように利用するかは基本的には労働者の自由であることが示されている」と書いているが、当たり前のことだ。会社に正当な理由がない限り、就業時間以外をどのように使うかは労働者本人の自由だからだ。しかし日本では、国のモデル例に準じて、多くの企業が副業を禁じてきた。

 背景には日本的雇用慣行がある。つまり「本業に支障を与える」、もしくは「会社の秘密を漏らされたくない」というだけでなく、「会社に忠節を尽くして働いてほしい」という考え方によるものだからだ。厚労省のモデル例もそれを踏まえたものだ。

 経団連は否定的だが、やりたい人は多い

 なぜ政府は方針転換をしたのか。政府は「働き方改革実行計画」で兼業・副業の推進を掲げた。最大の狙いは経済の活性化だ。優秀な人材の技能を他社でも活用することで新事業の創出などにつながり、人材を分け合うことで人材確保にも寄与する。また、個人にとっても副業をすることで自社にはないスキルを獲得し、キャリアアップにつながり、副業をきっかけに起業する人も増えると考えている。

 もう会社が定年まで面倒を見てくれる時代ではない。副業をしておけば、リストラや倒産などで職を失ったときのリスクを軽減できる。ましてや「人生100年時代」においては、老後のために、副業で生涯賃金の増収を図ったり、複数のスキルを持ったりすることは、非常に重要だ。

 残念ながら、企業側はまだ消極的だ。政府の働き方改革に賛同する経団連の榊原定征会長は「経団連として会員企業に対し、旗を振って副業・兼業を推奨するものではない」(2017年12月18日記者会見)と否定的意見を述べている。経営者が社員に対して「社業に専念せよ」と思うのは当然かもしれない。

 一方、労働者側は「副業をやってみたい」という人が多い。人材採用支援のエン・ジャパンの調査(2018年2月)によると、正社員のうち「現在副業している人」は8%、「過去に副業をしたことがある人」は33%、「したことはないが興味のある人」は53%、そして「副業に興味がない人」はわずか6%だった。

 市長の「戦略推進マネージャー」に395人が応募

 そこで興味深い動きがある。広島県福山市が昨年11月、転職サイトの「ビズリーチ」上で、兼業・副業を前提とした人材募集を行ったところ、395人の応募が集まったのだ。このうち5人が今年3月から福山市で働いている。仕事の内容は人口減対策の若者定着や女性の子育て支援に関わる施策の企画・推進。「戦略推進マネージャー」として民間企業の立場から市長などに助言する。

 副業で募集した動機について福山市企画財政局の中村啓悟部長は「本来なら中途採用するべきでしょうが、さすがに首都圏の優秀な人材が転職するとは思えない。政府も兼業・副業の推進を唱えていますし、兼業・副業であれば民間同士のように情報漏えいのリスクも低いし、来てもらえるのではないかと考えた」と語る。

 それでも応募者395人には驚いたという。内訳は男性が9割で、その大半が首都圏在住だという。年齢は30~40代が約6割を占め、業種はコンサルティング会社、製造業、金融機関など多彩だった。実は当初の採用予定は1人だけだったが「絞り込むのは難しく、しかも優秀な人が多いので市役所のさまざまな分野で活躍してもらおう」(中村部長)ということで5人になったそうだ。

 報酬は1日2万5000円で月4回

 副業限定で募集するのは自治体として初の取り組みだが、働き方や報酬の仕組みもユニークだ。勤務日は週1日、月4日程度を想定しているが、事情に応じて月1回のときも認めるなど柔軟に対応していく。1日の報酬は2万5000円。首都圏から来る人もいるので別途交通費と宿泊費が支給される。

 副業する人は雇用関係ではなく、一般的なセミナーの外部講師と同じ扱いになり、報酬も講師謝礼として支出する「謝金」になる。雇用すると地方公務員法の適用を受けるなどいろいろな縛りも発生するが、このスタイルであれば働く自由度も高く、所属する会社も認めやすいと考えた。

 外資系製薬企業の42歳ディレクター

 採用された5人の年齢は女性2人を含む33歳から59歳、製薬会社、映像製作会社、投資ファンドなどの現役の社員だ。その1人が外資系製薬企業の経営戦略部門のディレクターを務める裴崗(ぺい・こう)さん(42歳)。

 中国から日本に留学し、日本の大手通信会社勤務から外資系ヘルスケア企業を経て現在の会社に転職したばかりだった。裴さんは応募の動機についてこう語る。

 「転職先の人事制度のオリエンテーションで真っ先に説明されたのが副業制度でした。副業を推奨しているのでやりたい人は兼業届を出してくださいと言われてすぐに手を挙げました。福山市に応募したのは住民サービスという民間と違う分野で自分のバックグラウンドが生かしてアドバイスできるのではと思いました。もう一つはふるさと納税をしたことをきっかけに、日本の地方には海外の人が知らないすばらしい工芸品や観光資源があることに気づかされ、その発信をお手伝いしたいと思ったのです」

 裴さんの会社はリモートワークなどテレワークを推奨しているので本業との両立も可能だという。福山市役所の印象について「部長も含めて職員の方々が社会的使命感に燃えているのをひしひしと感じた。私も行政と関わることで今までにない充実感があります。私にとっても異なる視点を持つことができるし、自分の今後のキャリアにとっても役に立つと思う。想定外の楽しみに今からワクワクしている」と喜びをあらわにする。

 受け入れ側は「アルバイト感覚」を捨てるべきだ

 こうした取り組みは今後進んでいくのか。今回の副業募集の仲介役であるビズリーチの地域活性推進事業部の加瀬澤良年チーフプロデューサーは「副業・兼業が進まないのは、やりたい人はいても受け入れ側が、プロ人材であってもアルバイト的にしか考えていないなど体制が充実していません。また、プロ人材も自分のスキルを切り売りするよりも、本業で身に付かないものを学習したい、違う人生のキャリアを模索したいと考えている。今回の試みが他の自治体や企業にも広がっていくのではないかと期待している」と語る。

 福山市の中村部長も「地方の中小企業は人材の確保に困っているが、副業というスタイルの確保策があることを発信していきたい。それが花開くことになれば必ずしも新卒に限らず、中高年世代を含めた多様な人材確保策が将来生まれる可能性がある」と期待する。

 とはいっても現実には仕事に追われて副業どころではないと言う人も多いだろう。働き方改革によって日本の長時間労働体質が見直され、定時退社や有給休暇の完全取得が可能になれば、今以上に副業の土壌が生まれる。

 また、企業の人事担当者の多くは、社員にとって副業のメリットは大きいと頭でわかっていても、「本当に本業の邪魔にならないのか」という不安を捨てきれずにいる。今後、そうした懸念を払拭する仕組みができれば、会社員の副業は一気に広がるかもしれない。

 (ジャーナリスト 溝上 憲文 写真=iStock.com)