「補償する」→「補償はできない」 台風で学校の倉庫が飛び被害、なぜ市は態度を変えたのか
関西を中心に大きな被害をもたらした9月初旬の台風21号。大阪府守口市では、飛ばされた市立小学校の体育倉庫の屋根が原因で電柱が倒れ、民家が被害を受けた。この補償をめぐり、市と住民の間にトラブルが起きている。市は当初「補償する」としていたが、その後、「補償はできない」と態度を一転させた。市の対応に住民らは「あまりに無責任だ」と憤っている。(小泉一敏)
トラブルの原因となったのは、9月4日午後2時ごろ、守口市立藤田(とうだ)小学校のグラウンド北端にある体育倉庫の屋根が強風であおられて飛ばされたことだった。
住民らによると、屋根はグラウンドの周りに張られていたネットを支柱ごと倒し、そのはずみで敷地外の電線をひっかけ、複数の電柱が倒れたり傾いたりしたとみられる。
倒れた電柱の1本が小学校に隣接する男性(75)方の2階の屋根を直撃した。他に体育倉庫の屋根の一部とみられるモルタル片が周囲に飛び散り、車や民家の外壁が傷つけるなどの被害も出した。
この日の夕方には、市職員らが被害の様子を確認したうえで写真を撮影。その際、市職員は「市が補償する」と説明し、翌5日未明近くまで業者が応急処置の工事をするなどの対応をとった。
男性は「自宅は被害を受けたが、けが人がいなくてよかった。市も(応急処置工事など)迅速に対応しよくやってくれていると思っていた」と振り返る。
市職員の「補償する」との言葉を受けて、被害の数日後、男性は近所の業者に車の修理を依頼。業者が、修理費の補償について確認した際も、市側は「全額補償する」と説明した。だが、その後、市は「補償できない」と、男性に伝えてきたという。
なぜ市は態度を変えたのか。市の担当者は「自然災害による補償は、市の過失がなければ支払うことはできない制度になっている」と断言。市民への説明が変遷した点については、「災害時で役所も混乱していた。本来は補償できないものを、対応した職員の認識不足によって補償できると答えてしまった」と釈明した。
では、体育倉庫の管理については適切だったのか。市は「壁が傷んだら補修したり、かぎを交換したりと体育倉庫として使用するため通常の範囲内でのメンテナンスを行ってきた」と主張する。
だが、倉庫は学校ができた昭和48年に設置され、築45年が経過している。市は「倉庫自体は、定期点検の義務を定めた建築基準法の対象にはならない」とし、過失がないとの認識を示す。ただ、説明を変えたことで混乱を招いたとして、市は関係する住民らを戸別訪問し経緯説明を行っているという。
男性宅は、市から半壊との診断を受け、現在は業者に依頼して修理を進めているが、年末までかかる見通し。修理費用に関しては、火災保険の補償を受けるが、車の修理費は80万円ほどが必要だという。男性は「補償がどうなるかは重要だがそれだけではない。市は、職員個人の責任に止まらせず、説明を変えたことは無責任だということを認識してもらいたい」と話している。
風水害どうすれば
自然災害で被害を受けた場合、どうすればよいのか。住宅の被害については、公的な支援の仕組みとして、「災害救助法」に基づく住宅応急修理による補償と、「被災者生活再建支援制度」による支援金支給がある。
ただ、公的な支援制度の対象になるには一定以上の被害状況が必要になり、今回の台風21号による被害では適用されない。また、日本では税金による私有財産への支援にはハードルが高く、飛来物の所有いかんにかかわらず、自然災害への備えは「自己責任」という考え方だ。
なお、「災害救助法」による住宅応急修理費限度額は1世帯あたり57.4万円(平成29年度基準)、「被災者生活再建支援制度」では支援金最大300万円に止まる。
では民間の保険はどうか。日本損害保険協会によると、自然災害への備えは火災保険が一般的だという。台風などの風水害の補償は火災保険に含まれるほか、地震による被害に備えた「地震保険」は火災保険と合わせて加入する必要がある。ただ、古くからの火災保険の契約内容によっては、補償されないケースもあるといい、契約内容の確認が必要だとしている。
自然災害の補償制度に詳しい、かがやき総合法律事務所(大阪市北区)の木口充弁護士は、守口市のケースについて「男性は当時、周囲の住宅の瓦などが飛ぶ被害を確認できておらず、その状況で吹き飛んだ体育倉庫の管理について、市の瑕疵(かし)の可能性を主張することはできる」としたうえで、「ただ、裁判では住民側が、市の管理不備を立証する必要があり現実的にハードルが高い」と指摘。現状では火災保険による備えが重要だという。
災害に備えるには、自治体など公的機関による「公助」に加え、住民が自分で身を守る「自助」、助け合いの「共助」による「地域の防災力」の向上が必要。充実した行政の支援が求められるが、財産や命は自分たちの手で守らなければいけないのかもしれない。
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