闘病耐え「賞金女王目指す」 若年がんを克服したボートレーサー
競泳女子の池江璃花子選手(18)の白血病公表は、若者もがんに罹患するという現実を改めて世間に突きつけた。茨城県出身の倉持莉々(りり)さん(25)も高校時代に血液のがんに苦しんだ。若年層のがんは治療と人生の岐路が重なりケアも難しいとされる。倉持さんも過酷な闘病生活だったが、ボートレーサーになる夢をつかんだ。あきらめなければ将来が開ける。彼女は証明してみせた。
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倉持さんが血液のがんの一種「ホジキンリンパ腫」と診断されたのは高校3年、17歳の時だった。小学校から水球を続け、日本女子代表にも選ばれるほど体力には自信があり、病気とは無縁だった。ボートレーサーを幼いころから夢に見て、倍率40倍といわれる養成所「やまと学校」に一発合格。秋には入学し、思い描いた人生を歩もうとしている中で異変が襲った。
脇腹が痛く、首のしこりが少し気になった。「風邪かな」。当初はそんな程度に感じていた。ただ、痛みは3カ月が経過しても取れず、むしろ増しているように感じた。そして、規模が大きな病院で精密検査を受け、ホジキンリンパ腫と診断された。やまと学校入学の2週間前のことだった。
股関節や肺にもすでに転移。「一刻も早く治療しないといけません」。医師からはそう告げられたが「体は元気で現実のものとは受け止められなかった」。
闘病生活は過酷そのものだった。抗がん剤治療は2週間に1回だったが、6種類を一日かけてゆっくりと注射。その度に節々に激痛が走り、起き上がることさえままならなかった。舌もしびれ味覚を失い、吐き気も襲った。抗がん剤は光に弱く、打つ際は微弱光を遮断するため電球にアルミホイルを巻く。その暗い室内で、血管がつぶれるような激痛に耐えることが「何よりつらく、復帰を考えることさえできなくなった」。
当初は抗がん剤が効かず、母は毎晩のように涙した。ただ、1カ月以上が経過し、数値は徐々に改善。体も抗がん剤に慣れ始め、つらいながらも動かせるようになった。
すると一度は失いかけていた夢への情熱が再び沸いた。痛みに耐え、テニスや水泳などのトレーニングを再開。翌年には、やまと学校の試験を受けられるまで回復し「合格」を再び勝ち取った。
1年半遅れで入学し、平成26年3月にデビュー。レースの世界は厳しく、初勝利までは、さらに1年半を費やしたが、今は着実に勝利を重ねる。この間、再発の恐れがあると宣告された5年も過ぎた。
ボートレーサーを志したのは小学生の時。父に連れられて見たレースで一気に内側に切り込む「まくり」を女子選手が決める姿に心を奪われた。「死ぬまで続け、いつか賞金女王に」。ちょっと寄り道したが、願えば、夢は逃げないことを知った倉持さんは着実に将来を見据えている。(松崎翼)
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