【東日本大震災8年】母ちゃんも「逃げて」 児童避難させ不明の妻へ 教訓残す

 
避難を呼びかける看板や石碑を建てる活動を続ける木村正明さん=10日午後、岩手県釜石市(桐山弘太撮影)

 □岩手・釜石 木村正明さんの活動

 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた岩手県釜石市で、妻が行方不明になった男性が、避難を呼びかける看板や石碑を建てる活動を続ける。《逃げようよ》《あなたも逃げて》。震災は11日で8年を迎えたが、あの日、“母ちゃん”に伝えたかった言葉を、後世に教訓として着実に受け継ごうとしている。

 男性は元新日鉄住金社員の木村正明さん(63)。自宅にいた母の光子さんを津波で失い、妻のタカ子さんの行方は今も分かっていない。

 タカ子さんは市立鵜住居(うのすまい)小学校の職員だった。学校にいた児童や教員は避難したが、タカ子さん1人だけが残った校舎を津波が直撃した。避難した児童らは全員が生き残り、新聞やテレビは「釜石の奇跡」として取り上げた。

 「なんで母ちゃんだけが残ったのか」「残されたんじゃないのか」

 木村さんは真相を探ったが、分かったのは「保護者からの電話対応をしていたのではないか」というくらいだった。「『奇跡』の話を耳にする度に妻の存在が消されていくような気がした」と振り返る。

 そうした中、妻がいた学校の跡には、今年9月のラグビーワールドカップ(W杯)が行われる「釜石鵜住居復興スタジアム」の建設が決まり、自宅の跡には鵜住居小と市立釜石東中が再建されることになった。

 あの悲惨な津波からの復興を遂げ、その象徴ともなるW杯の開催は、本来ならば喜ばしいことだ。加えて自らの同僚には日本選手権7連覇を果たした新日鉄釜石ラグビー部の選手たちもいる。ただ、「スタジアムの下に母ちゃんがいるんじゃないか」と思うと素直には喜べなかったという。

 そして行動に出た。変わりゆく町並みの中にも教訓を伝えるものを着実に残していこうと、仲間とともにメッセージを伝える看板などを設置する活動を開始。

 《木村タカ子さんが住んでいた土地です》。平成29年に完成した小中学校の校庭にこう記した看板を立てた。傍らには、タカ子さんが好きだった花を植える花壇も添えた。小中学校が見える鵜住居駅との間にある土地には、避難を呼びかける看板を掲げた。

 木村さんは「『みんなを助けたい』と、仕事をまっとうして犠牲になった人もたくさんいた。でも、揺れたら、とにかく逃げて、まずは自分の命を守ってほしい」と語る。

 児童らが全員助かったという「奇跡」があった一方で、津波の被害に遭った大勢がいる。市は「奇跡」という言葉を使わず、「釜石の出来事」と言い換えるようになった。

 そして、スタジアムの一角に設けられる予定の祈念碑にも教訓が継がれる。《あなたも逃げて》。そこには、木村さんが妻に最も伝えたかったひと言が刻まれる。(大渡美咲)