【高論卓説】ファクトにあふれた国にするために

 

 ■『ファクトフルネス』はメディアへの戒め

 貧困、教育、環境、エネルギーなどの重要な問題について、多くの人々が勘違いしていることを指摘した『ファクトフルネス』をご存じだろうか。読書家として知られるビル・ゲイツ氏が大絶賛し、昨年までに100万部以上売れた世界的なベストセラーである。日本でも爆発的な売れ行きを記録しており、1月に日経BP社が発売した日本語訳本はこれまでに30万部以上も売れている。ビジネス・経済書としては異例のホームランだ。

 本書は、医師・教育者であるハンス・ロスリング氏が自身の経験に基づいて、人々の思い込み、勘違いの数々を論じている。そして世の中のさまざまな事象を見るときに、「10の思い込み」を克服することの重要性を解く。10の思い込みは、ニュースを報じている記者や編集者にとってもグサリとくるものばかりだ。

 ロスリング氏が指摘する第1の思い込みは「分断本能」だ。人間には文化による違いは少なく、実は共通部分が多い。にもかかわらず違いに着目し、「わたしたち」と「あの人たち」という具合に、分断して捉えようとする。たしかにマスメディアは二項対立をつくってドラマチックなストーリーを作りがちだ。経済メディアでは「勝ち組、負け組」という報じ方が一つの定番。中国や韓国について報じるときにも、分断本能のわなにハマりがちだ。

 第2の思い込み「ネガティブ本能」も、陥りがちなわなだ。世界全体はどんどん「よくなっている」のだが、「悪い」ことばかりがニュースとして取り上げられる。そのため、ワクチン未摂取の子供が増えている、戦争やテロによる被害者は減っていない、という錯覚に陥っている人が多い。

 もちろん、悪環境で暮らしている人、戦争やテロの被害に遭っている人にとって「世界はどんどんよくなっている」という言葉は慰めにならないだろう。しかし、だからといって誇張しては駄目だし、事実を正確に捉える努力を怠ってはならない。

 第3の「直線本能」は「グラフはまっすぐに伸びていくだろう」という思い込み。人々は、「これまで世界の人口が増えてきた、ということは今後も増える」という具合に過去からの延長で未来を考えがちだ。実際にはひたすら直線的に進むグラフは珍しいのだが、この本能は強力なものがある。

 そのほか恐怖本能、過大視本能、パターン化本能、宿命本能、単純化本能、犯人捜し本能、焦り本能を合わせた10の思い込みが、分かりやすく解説されている。そのいずれもメディアが陥りがちなわなといえるだろう。

 『ファクトフルネス』は世界を対象にしているが、日本の国内の事象についても「勘違い」は多い。そこで4月1日発売の週刊東洋経済では日本版のファクトフルネスを作ってみた。「日本の生産性伸び率は必ずしも低くないこと」「生活保護費の不正受給を過大視しすぎていること」「日本の社会保障費の増加見通しは誇張されて報じられていること」などを指摘した。

 毎月勤労統計の集計・公表漏れに端を発し、政府統計の信頼が揺らいでいる今は、「そもそもデータは信用できるのか」という根本部分も問われている。日本をフェイクにあふれた国ではなくファクトにあふれた国にするためにも、メディアは大きな役割を担っている。そのことを自覚しなければいけないと思う。

【プロフィル】山田俊浩

 やまだ・としひろ 早大政経卒。東洋経済新報社に入り1995年から記者。週刊東洋経済の編集者、IT・ネット関連の記者を経て2013年にニュース編集長。東洋経済オンライン編集長を経て、19年1月から週刊東洋経済編集長。著書に『孫正義の将来』(東洋経済新報社)。