【希少がんと共に生きる】たくましい若きサバイバー 抗がん剤をやめて思うこと

 
東京マラソンを走り抜き、完走メダルを首にかける内山裕果子さん=3月3日、東京都内(内山さん提供)

 小腸がん(ステージ4)に罹患(りかん)してから3年目を迎えている。2年間続けた抗がん剤の服用を、今年1月からやめた。休薬は、担当医と相談の上、効き目や副作用などを総合的に勘案して決めた。休薬してもなお生き続けるには「絶対生きる」という強い意思が必要だ。そんな折、がんサバイバーの若者たちと接する機会を得た。彼らには「生きる力」がみなぎっていた。

 4月20日に東京・新橋で開かれた若年性がん患者団体「STAND UP!!」によるフリーペーパー第10号のお披露目会。第10号に体験談を寄稿した内山裕果子さん(31)はマイクを握り、こう語った。

 「東京マラソンを完走することができました。直腸がなく排便障害があるので『激しい運動は不安』と自分の中で壁を作っていたのですが、そういう自分を変えたかった。手術をして2年ちょっとで、フルマラソンを走れるくらい元気な人もいる、ということを伝えたいと思い挑戦しました」

 会場は拍手に包まれた。客室乗務員だった内山さんは28歳のとき直腸がん(ステージ3a)が発覚した。手術は7時間におよび、大腸から直腸にかけて約25センチを切除し、まわりのリンパ節も取り除いた。

 昨年3月、ヨガインストラクターの資格を取得した。今後については「心や身体に不安がある人の癒しになるような活動をしたい」と話す。7月に結婚する予定だ。彼女の目は輝き、フリーペーパーにつづられた「未来は自分の考え方次第!」という言葉には力強さすら感じる。

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 「STAND UP!!」は平成21年に発足し、22年から毎年春にフリーペーパーを発行している。発行部数は毎号約35000部。がん診療連携拠点病院を中心に約400カ所の病院に置いている。発足当初のメンバーは10人にも満たなかったが、今では約690人に上る。がんの体験談10人分を毎号載せているのが特徴だ。

 だが、ここまでの道のりは平坦(へいたん)ではなかった。発行は第1号から難航した。団体の創設者でもある、24歳で乳がんに罹患した鈴木美穂副代表(35)は10年前の状況をこう語る。

 「10人の顔出し、実名で体験談を書いてくれる人を見つけるのが難しい時代でした。顔を出すことに抵抗がある人が多くて、『仮名だったらいいよ』『顔を出さないんだったらいいよ』という人は見つかるのですが…。10人を見つけるだけで約半年かかりました」

 団体の事務局長は17歳で急性リンパ性白血病を発病し、21歳で再発した経験をもつ熊耳宏介さん(36)が務める。熊耳さんによると、置いてくれる病院を探すのも大変だったらしい。「聞いたことのない団体から『体験談を載せたフリーペーパーを置かせてください』といわれても、普通、怪しがりますよね」と笑いながら振り返る。

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 15~39歳頃までの思春期と若年成人(Adolescent and Young Adult)を指す「AYA(アヤ)世代」の患者は進学、就職、結婚、出産など人生の節目と治療時期が重なり、悩みや不安を抱えることが多い。このため、近年、心のケアなど社会的サポートの必要性が声高に叫ばれるようになった。

 今でも、がん経験を公にすることに対し抵抗を覚える若者のサバイバーは少なくない。実際、お披露目会の参加者には「心の整理がついていない」と取材を断る人もいた。

 筆者自身ががんサバイバーだからといって、がんサバイバーの誰しもが気を許してくれるわけではない。そんなことを改めて思い知った。部位が同じでも、がんの症状や治療法は千差万別。心に傷を負っているのなら、その胸のうちに土足で入り込むのは避けなければならない。自分にそう言い聞かせながら、取材を続けた。

 会場では、25歳のときに左ふくらはぎに粘液型脂肪肉腫を発症した鳥井大吾第10号編集長(30)が「若年性がん患者会とその他のがん患者会の何が違うかといえば『若さ』かなと。インスタグラムを始めました。これからも新しいことに取り組んでいきたい」と宣言。お披露目会は和やかなうちに幕を閉じた。

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 筆者が手術を経て抗がん剤治療を始めたのは29年1月。数々の副作用がある中、「2年間、よく耐えたな」と思っている。同時に、抗がん剤をやめた途端に、小腸の壁を打ち破って腹膜に散らばったがん細胞が暴れ出すのではないかという不安もある。

 ただ、希望は捨てていない。休薬後2年間、腹水や転移、再発などがなければ「いけたかなと…」(担当医)。がんの病から逃げ切れる可能性があるというわけだ。抗がん剤を開始したとき、担当医は「がんのすべてを消すのは難しいが、治る可能性は0%ではない」と語っていた。

 当時、「0%ではない」の意味を「ほとんど治る可能性はない」と解釈した。あれから約2年4カ月。楽観視しているわけではないが、「限りなく0%に近い世界」に足を踏み入れるときが訪れるかもしれないのだ。ここ1~2年は正念場といえる。

 若者たちから生きるエネルギーを注がれた気分になった筆者は、こう思いながら会場を後にした。

 あともう一踏ん張り。

(政治部 坂井広志)