【ゆうゆうLife】家族がいてもいなくても(593)
■「つかず離れず」が何より
連休が終わり、静けさが戻って、ほっとしている。
というのも、この期間中、那須に初めて家族がやってきたのだ。息子夫婦と子供たち、合わせて5人。孫娘は9歳、6歳、そして7カ月。全員そろってコミュニティー内のゲストルームに滞在した。
私が住んでいるのは高齢者住宅だから子供の姿を見るのはまれな場所である。
そこに突然、彼らが現れ、走ったり、泣いたり、叫んだりしたら、どうなっちゃうのか? と、私としてはドキドキしていた。
そもそも世間では、祖母なるものは、子育てにたけているとの誤解がある。けれど、何十年も前に自己流で1人育てただけの私にできることなど、たかが知れている。
うっかりして、赤ん坊を預けられたまま、息子夫婦が出掛けちゃったりしたらどうなるのか。対応する自信は全くなかった。それで「私は、どこへでも一緒に行くからね」と宣言し、彼らとびっしり付き合った。
と言っても、連休中は那須の中心地は観光客の車でとんでもない渋滞となる。
私たちは、基幹道路を避け、もっぱらくねくねした裏道を走り、人のいないところを求めつつ、那須の5月をのんびり、ゆっくり味わった。
この時期は、森の道を走ると、木々にふき出した若葉が、陽の光に透けてまるで繊細なレース編みのように美しい。
途中、ハンモックのある広々とした「森のカフェ」で、ランチをしたり、お昼寝をしたりもした。
さらに「もうひとつの那須」と呼ばれる歴史の町、芦野・伊王野の里にも足を延ばし、温泉に入ったり、偶然見つけた石の美術館に立ち寄ったりもした。
それにしても、自然の中に放たれると、子供は俄然(がぜん)、子供らしくなって自然と調和する。
孫娘たちが、森の中で声をあげながら、はしゃいで走り回る姿を眺めていると、もうそれだけで不思議な幸福感に満たされる。
彼女らの姿にかつての息子の姿が重なり、さらに幼かった自分の姿も重なり、それらが夢か幻のように浮かんできて、ついぼんやり追憶に浸ってしまう。
こうして、私にとって今年の連休は、「勝手に1人で遠くに行っちゃった祖母」から、「那須に住んでいる優しい祖母」へと昇格できた記念すべきイベントとなった。
やっぱりね、「つかず離れず」。家族との関係はそれが何よりでしょう、と思った。(ノンフィクション作家・久田恵)
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