教育、もうやめませんか

福沢諭吉は異議を唱えていた 訳語が違えば日本も変わっていたかもしれない

野村竜一

 我々がサイエンスに特化した教育機関を設立する目的のひとつが「学び方」のアップデートである。学びとは人から教わるものであるという考え方から、自らが多様なアプローチによって知識や方法論、物の見方を獲得するものであるという考え方へのシフトチェンジだ。教育者と呼ばれる人にとっては、教えることよりも、人が育つ環境を作ることこそが「education(エデュケーション)」だという考え方への転換を拡張・加速させたい。

 本連載タイトル「教育、もうやめませんか」は、「教えて育てる / 教わって育つ」というスタイルの学びを次のステップに持っていく同志を探したいという思いからつけたものだ。

「学びは教育にあらず」は決して新しい概念ではない

 人に物事を教えることを、学びを提供することの本質とせずに、人が伸びる環境設計に注力することをeducationの本当の姿であると、130年前に唱えていた人物がいた。江戸から明治期の武士であり蘭学者、思想家であり教育者でもある福沢諭吉である。彼は著作「文明教育論」の中で以下のように書いている。

「もとより直接に事物を教えんとするもでき難きことなれども、その事にあたり物に接して狼狽せず、よく事物の理を究めてこれに処するの能力を発育することは、ずいぶんでき得べきことにて、すなわち学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字はなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして、能力の発育にありとのことをもってこれが標準となし、かえりみて世間に行わるる教育の有様を察するときは、よくこの標準に適して教育の本旨に違(たが)わざるもの幾何(いくばく)あるや。我が輩の所見にては我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず」(福沢諭吉「文明教育論」より抜粋)

 私の解釈も多少入るが、福沢諭吉は「学校というのは人にものを教えるところではなく、人が発達するのを邪魔せず促進する環境である。だからこそ、(educationに当てられた)「教育」という言葉は適当ではない」と言い、「教育」の代わりに「発育」という言葉を用いるべきと提唱している。

訳語の弊害か

 昨今、人から指示を受けなくては何も生み出せない人、十分な知識を教わるまでなにもできない人、教わったものしか自らの蓄えがなく、教わっていない不足の事態に対処ができない人が社会に多く輩出されていると見聞きする。もしかしたらこれも、明治のはじめにeducationを「教育」と訳したことが、そしてその訳語が人々の学び方を規定したことがそもそもの原因なのではないかと考えることがある。

 130年前の福沢諭吉の文章を読むにつけ、educationとは教えることではなく環境をつくることであり、学びとは、教わることではなく知識や方法論を獲得する方法を自らでデザインすることだという思いは確固としたものとなる。この考えは決して新しいものではなく、また非常識なものではないのだとわかる。我々は現在の環境を当たり前・当然のものとせず、改めて、educationとは何か、学びとは何かを各々考えるべきだ。案外、単に「educationと教育はそもそも違う」という考えが浸透するだけで、現在の(日本の)教育環境は大きく変わるのではないだろうか。

「教わって育つ」 あくまで1要素

 2019年9月に開設する高校生対象の学びの機関「Manai Institute of Science and Technology」(=マナイ)は、educationの本当の意味を問い直す取り組みの集合だ。マナイで行われる活動の中心は生徒それぞれが行う研究プロジェクトである。すべての生徒に共通する時間割や到達目標(カリキュラム)は存在しない。研究の合間を縫う形で、科学・人文多岐にわたるワークショップが用意されこれを生徒が選択する。

 このワークショップの役割は、生徒が研究テーマを見つけるためのもの、また自らの研究に広がりを与えるためのものだ。マナイでの指導者に関しても教師ではなくメンターであるという定義づけを徹底している。生徒にも「教わって育つ」という意味の教育は、educationの単なる1要素でしかないことを徹底的に理解してもらうことになる。

自分のペースで学ぶ「サイエンスジム」

 私がマナイの仕組みを説明する時によく持ち出す例が「スポーツジム」「フィットネスジム」だ。マナイは市中のフィットネスジムに似ていると思う。

 ジムでは会員である各々が自分のペースで自分の能力や目標に応じてトレーニングを行う。また機器の使い方やトレーニング方法を必要に応じて指導するトレーナーがいて各人の目標に向けて伴走する。また基礎的な知識やスキルを効率的に習得すべくスタジオではクラスワークやワークショップがある。上記は、自分で時間の使い方まで計画して行う研究活動、生徒に伴走し、決して一方的に物事を教えることなく生徒の能力伸長を導くメンター、生徒の可能性を拡張する選択制のワークショップにそれぞれ例えることができる。私自身が各種スポーツジムを利用することが多いからというだけでなく、これからの学びの環境づくりにトレーニングジムは大いに参考になると感じている。

 ちなみに私は現状、2つのスポーツジムに通っている。その費用を「自社のリサーチ業務として経費にしたい」といつか勇気を持って言ってみたいと思う。会社の経理というより税務署が認めるかどうかの問題なのだろうが。

野村竜一(のむら・りゅういち) エデュケーションデザイナー
Manai Institute of Science and Technology代表
1976年東京都生まれ。東京大学卒業後、NHK、USEN、アクセンチュアを経て「旧態依然とした教育が人の学びを阻害している。学びをアップデートさせたい」との思いから起業。論理的思考力養成の学習教室「ロジム」の共同経営者でもある。2019年秋、サイエンスに特化したインターナショナルスクール「Manai Institute of Science and Technology」を開校予定。固定観念に縛られない学びのあり方を追求しつつ「人類共通の言語であるサイエンスを武器に世界中で夢をカタチにし、課題を解決できる」人物を多く輩出することを目指している。

教育、もうやめませんかは、サイエンスに特化したインターナショナルスクールの代表であり、経営コンサルタントの経歴をもつ野村竜一さんが、自身の理想の学校づくりや学習塾経営を通して培った経験を紹介し、新しい学びの形を提案する連載コラムです。毎月第2木曜日掲載。アーカイブはこちら