【クルマ三昧】まずまずの初対面?…美声の「ベンツ嬢」とは密な関係になれそうな予感
クルマと“会話”
クルマは人々にとって「愛車」でいつづけられるのか…。その答えがここにあるような気がした。
マイカーが愛車と呼ばれることが、実は希有なことなのだとあらためて思う。鉄とゴムでできた機械製品であるのに、「愛」というハートに響く愛称で親しまれている。毎日手を触れるはずの冷蔵庫は「愛庫」とは呼ばれない。身体に触れる衣服を綺麗にしてくれるのに、洗濯機が「愛機」と呼ばれることはない。だというのに、人を乗せて走るクルマは、まるでパートナーのように、愛情を込めて「愛車」と呼ばれ愛されている。
そんな思いをことさら強くしたのは、メルセデスに搭載された対話型インフォテインメントシステム「MBUX」(メルセデス・ベンツ・ユーザー・エクスペリエンス)である。
「Hi メルセデス」と呼び掛ければ、音声を認識して対応してくれる。いわばスマホの「Siri」をクルマに内蔵したというわけだ。目的地設定などはもちろんのこと、電話通話、音楽選択などは朝飯前だ。メッセージの入力と読み上げ、気象情報まで伝えてくれたりする。
早速試してみたい。「Hiメルセデス」-。そう話しかけることで、音声認識機能を起動させれば、あとはスムーズな会話がテンポよく進む。「いかがしますか?」。即座に女性の美しい声で応えてくれたのにはハッと後ずさりしたくなった。
生身の女性の声ではなく、どこかデジタルな合成ボイスではある。だが、特別な違和感はない。藤崎詩織や初音ミクや仮想アイドルを連想してしまった。限りなく人間の音声に近く、それでいてぜったいに血の通っていないバーチャルな合成音声なのである。
ラフな日常会話も認識
MBUXの音声認識機能の特徴は、自然な言語を理解してくれることだ。「温度設定を25度にしてください」などと正確な言葉ではなく、「暑い」と言えば理解してくれる。正しい日本語で語り掛けずとも、ラフな日常会話を認識してくれるのはありがたい。
ただ、僕の滑舌が悪いのか、コミュニケーションが混乱したのも事実。「ラジオのボリュームを上げてください」と言ったつもりなのに、この猛暑日の最中「温度を25度に設定します」とやられてイライラしたりもした。会話の中で「メルセデス」という単語を発しただけなのに、「どうぞお話しください」と言われて慌てた事もあった。NHKアナウンサーのように教科書どおりの文法である必要はないが、滑舌だけは整える必要がありそうだ。
目的地設定もお見事である。「品川駅」と叫べば、「品川駅セブンイレブン」や「品川駅立ち食いソバ」を候補に上げてくれた。その候補の中から希望の目的地を選べばいい。もちろん指示は言葉で済む。「FMヨコハマをお願いします」と伝えたら、FMヨコハマ本社ではなく、周波数をアジャストしてくれたのには驚かされた。そのときも僕が目的地ではなく選局を求めていたことを察知してくれたのである。
クラウドからの情報を取り入れるようで、イマドキの若者言葉も学ぶという。AIによる学習機能まで備わっているから、オーナーの言葉の特徴も蓄積していくという。これはもう私設秘書である。
データの蓄積により、例えばある時間帯になれば決まった音楽を流してくれるようになるというし、いつもの帰宅時間になれば、「帰るコール」を促してくれるという。自分の好みも都合も理解してくれるようになる。まさに気の利く彼女か有能なセクレタリーである。
クルマ離れの救世主?
試乗が初対面であり、なおかつ滑舌が悪いことで、「MBUX嬢」との今回のコミュニケーションは決して円滑だったとは言えないが、長く付き合っていくうちに、僕らの関係はもっと密になっていくような気がした。
実は、典型的な昭和世代である僕は、バーチャルアイドルには違和感がある。最近流行の、しゃべるロボット達にも不気味さを感じていた。あれが理解できるのは、僕よりひと回りもふた回りも若い層なのであろうと。だから当初は、MBUXを斜めの目で見ていた。とても愛車と呼ぶ気にはなれないのだと。
だが、短い時間だったとはいえ、徐々に「情」のようなものが湧いていったのは、自分でも驚きだった。人と人の感情の交錯と同質の繋がりを意識したのだ。クルマの何処かに彼女が隠れているような気がしたのだ。思わず助手席に目をやったら、誰も座っていなかった。
若者のクルマ離れの救世主になるかも知れない。そしてこれからもクルマが「愛車」と言われるに違いないと確信した。
【プロフィール】木下隆之(きのした・たかゆき)
ブランドアドバイザー/ドライビングディレクター
東京都出身。明治学院大学卒業。出版社編集部勤務を経て独立。国内外のトップカテゴリーで優勝多数。スーパー耐久最多勝記録保持。ニュルブルクリンク24時間(ドイツ)日本人最高位、最多出場記録更新中。雑誌/Webで連載コラム多数。CM等のドライビングディレクター、イベントを企画するなどクリエイティブ業務多数。クルマ好きの青春を綴った「ジェイズな奴ら」(ネコ・バプリッシング)、経済書「豊田章男の人間力」(学研パブリッシング)等を上梓。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本自動車ジャーナリスト協会会員。
【クルマ三昧】はレーシングドライバーで自動車評論家の木下隆之さんが、最新のクルマ情報からモータースポーツまでクルマと社会を幅広く考察し、紹介する連載コラムです。更新は原則隔週金曜日。アーカイブはこちら。木下さんがSankeiBizで好評連載中のコラム【試乗スケッチ】はこちらからどうぞ。
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