【ゆうゆうLife】家族がいてもいなくても(610)人生は常に想定外
引っ越して来て、1年と9カ月目。突然、那須のサ高住という高齢者のコミュニティーに入居する、と言ったら「1カ月続くか、1年続くか…」とまわりから言われた私だった。
気まぐれ、放浪癖、すぐにどっかに行きたくなるタイプ、と自覚しているけれど、この頃、なんだか「ここに落ち着きそう」という気がしてきている。
そもそも、一人で引っ越しのできる年齢を超え始めている。
物事には自力でできる年齢の限界、というものがあるのだと、自分に言い聞かせるようになってきたのだ。
実は、昔から年老いたら、森の中に小さな家を建てて、ひっそり暮らそう、などと夢見ていた。ひそかにその準備などもしていたのだけれど、どうも現実的には難しい、と悟った。
実行するには経済的にも年齢的にもオーバータイムなのだ。
目下、私は平屋の二軒長屋のコッテージふうの木の家に住んでいる。ま、ここが一番、望んでいた家に近いかなあ、と思い始めた。
広さ14坪。狭すぎず、広すぎずのこの緑に包まれた素朴な家が自分にはジャストフイット。日ごとに馴染(なじ)み、しみじみ愛着を覚えるようになってきた。
そのせいか、引っ越して来て、適当に荷物を突っ込んでいた部屋を最近なにかと整理し始めるようになった。
この1年、使わなかったものは捨てて、新しく購入したものが次第にとって代わって部屋のスペースを占領し始めている。玄関に続くちょっとした土間には、冬用の車のタイヤ、スコップや膝まである赤い長靴。キッチンのテーブルの上には、趣味で始めたトールペイントの筆や絵の具が散らばっている。
しかも、片づけてみたら邪魔なものを放(ほう)り込んでいた納戸がすっきり。隣の3畳ほどの部屋が空になってしまった。
そのなにもない部屋を眺めて気づいた。これは「断捨離」などというものではないな、と。
この空間はこれからを生きる自分の新しいライフステージを象徴しているのだわ、と。
そんな思いのまま、自分のためにコーヒーを丁寧に淹れ、キッチンのテーブルに座った。
そして、カップを手に目を上げると、広いガラス戸越しに光に満ちた庭があり、真っ盛りの白い萩の花が目に映った。
そう、ここに来て2度目の秋を迎えようとしている。
予想もしていなかった場所に私、たどり着いてしまったなあ、「人生は常に想定外」、改めてそんな思いが胸にしみた。(ノンフィクション作家・久田恵)
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