【社説で経済を読む】マラソン札幌へ、尊大なIOC判断 あの選考レースは何だったのか…

 
IOCのジョン・コーツ調整委員長(左)と会談する小池百合子東京都知事=10月25日、東京都庁

 ■産経新聞客員論説委員・五十嵐徹

 2020年東京五輪の開幕まで9カ月を切る中で、国際オリンピック委員会(IOC)がマラソンと競歩の開催地を札幌に変更すると発表した。猛暑対策が理由という。

 寝耳に水の発表で日本側の戸惑いは大きいが、IOCに譲歩の考えはなく、東京は外堀を埋められ、押し切られた。尊大で権威主義的なやり方であり、今後の五輪運営にも悪影響を及ぼしかねない。

 マラソンは五輪の掉尾(とうび)を飾る花形競技だ。前回1964年東京五輪では、円谷幸吉が英国のヒートリーにトラックで追い抜かれながらも自己ベストで走り切り、銅メダルを獲得した。あのシーンは今も日本人の胸を熱くする。

 各紙とも「やむなし」

 マラソン会場の札幌移転に産経10月18日付主張(社説)は「新国立競技場のメインポールに日の丸がはためく光景は、国民の夢である」と書き、読売20日付社説は「東京の沿道で応援しようと楽しみにしていた人には残念なことだろう」と都民の複雑な思いを代弁した。

 多額の費用を負担する開催都市にとって、コースに名所旧跡をちりばめるマラソンは、世界に向けた情報発信の大きなチャンスだが、不思議なことに主要紙の社説は、申し合わせたように札幌への変更に「やむを得ない」とそっけない。

 朝日10月18日付社説は「優先すべきは選手の健康であり、観客の安全だ」とIOCの決定を支持。日経19日付社説は「むしろ遅きに失した感がある」と背中を押した。

 IOCが土壇場で開催地の変更を打ち出した背景には、10月初旬に中東カタールのドーハで行われた世界陸上選手権がある。酷暑を避けようと真夜中に行ったにもかかわらず、マラソン、競歩とも4割前後の途中棄権者を出した。IOCにはよほどショックだったようだ。

 その点、札幌は8月の最高気温の平年値が26度台で東京に比べても4度ほど涼しい。アスリートや沿道の観客が熱中症に倒れるリスクが低くなるのは確かだろう。

 しかし、五輪は世界トップクラスのアスリートが4年に1度集い、最高の栄誉をかけて全力で競い合う場である。コースの特性、現地の気象条件などは綿密に計算した上でレースに臨んでいるはずだ。酷な言い方かもしれないが、ドーハでの相次ぐリタイアはその準備が不十分だったアスリート側にも責任があるのではないか。

 そもそも北半球では真夏にあたる7、8月開催で押し切ったIOCにも問題がある。

 IOCの最大の収入源は五輪の放送権料で、その5割は北米のテレビ局がスポンサーだ。米スポーツ界は9月にフットボールやバスケットボールなど人気競技がシーズン入りする。五輪開催はその前がテレビ局には好都合というわけだ。

 むろん東京も、この条件を承知で開催都市に名乗りを上げている。7月24日~8月9日の開催とした以上、酷暑対策が重要なことは最初から分かっていた。

 東京都は数百億円を投じてマラソンコースに遮熱性の高い舗装を施し、木陰を増やすために街路樹の枝葉を大きく育てるなどの取り組みを続けてきた。大会組織委も、競技会場に日よけテントや霧状の水噴射装置を備えるなど暑さ対策に万全を期す予定だった。

 こうした準備状況についてはIOCも高く評価してきた。それが突然の会場変更で一転して、否定された形だ。

 日本陸連はマラソン代表を本番に近い環境で選考しようと、本番とほぼ同じコースで男女各2選手を選んだばかりだ。選手も陸連も、あの選考レースは何だったのかという思いだろう。

 盛り上げムードに水

 札幌への会場変更は決まったが、コース選定や運営体制は大丈夫だろうか。札幌では、積雪のために4月頃までコース設定が難しいという。運営状況を確認するテスト大会なしの「いきなり本番」となる可能性もある。

 札幌も国際マラソン大会の開催経験はある。とはいえ五輪対応となれば話は別だ。IOCがもっとも神経をとがらせるテレビ中継もカメラ配置など念入りな準備が必要だ。

 数千人規模でのボランティアの確保、審判などの競技役員の移動、テロ対策を念頭に置いた警備態勢も綿密な練り直しが欠かせない。選手や観客の宿泊先や輸送、販売済みチケットの扱いなど課題は山積だ。

 なにより選手たちにとっては現地に合わせたコンディションの再調整が間に合うかどうか。開催を間近にようやくスイッチが入って来た都民の五輪盛り上げムードに会場変更が水を差すことにならないかも心配だ。

 会場変更に伴う追加経費の負担も難題だ。IOCは日本側が引き受けるよう求めている。水戸黄門の印籠じゃあるまいし、開催国・都市はIOCのいかなる要求も受け入れるべきだと、そんな高みに立ったおごりがあるとすれば問題だ。なにより「カネのかからない五輪」はIOC自身が主張してきたことではなかったのか。

 このままでは国際スポーツ最高の舞台は、五輪からW杯へとますます移っていきかねない。