半年間の育休から復帰して1年が経ち、最近よく思うことがある。それは、まだまだ小さい3歳半の娘に「ちゃんと1年前の記憶があるんだな」ということだ。そして、その当時に私が育休を取得していたこともかなり鮮明に覚えているようなのである。もちろん《育休=しばらく会社に行かない》といった程度の理解かもしれないが、当時の思い出話をすると「パパが育休の時によく行ったね! 楽しかったね」などと回顧するからビックリする。(文・大竹信生/SankeiBiz編集部)
例えば、当時住んでいた東京・武蔵野市にある特定の公園について「あそこで遊んだこと覚えてる?」と聞けば、「覚えてるよ。あのとき雷が来たから近くのローソンに逃げて、おにぎりとゼリーを食べながら雷がいなくなるのを待ってたね」なんてピンポイントの答えを返してくる(しかもすべて当たっている)。
そのうちに娘の記憶力を試したくなって、何か思いつけば質問を投げるようになった。つい先日も、マムシを見た記憶があるかどうか聞くと、「うん、見たね。毒があるから近づいたらダメなんだよ」と言う。1年前に秋川渓谷でマムシに遭遇した時、娘に伝えたセリフそのままだ。はたして自分が3歳だったころ、2歳時の記憶を振り返ることなどできただろうか-。
これまで読み聞かせてきた絵本のセリフも、お気に入りの本についてはほぼ完ぺきにマスターしている。一人でページをめくりながらイラストに合わせて、一人でセリフを発する姿をよく見かけるのだ。ちなみに字はまだ読めない。親が読み聞かせるセリフだけを頼りに、その一言一句を記憶する子供の頭の柔らかさに、ただただ驚かされる。私は恥ずかしながら、10回読んでも覚える自信なんてない。
言葉も達者に…鋭いツッコミにタジタジ
言葉もここ1年で達者になってきた。ただ単に親が言うことを理解するだけでなく、自分の意見や気持ちをはっきりと言葉で伝えられるようになった。ときに娘の鋭いツッコミに、こちらがタジタジになるなんてこともある。
遊びながらご飯を食べる娘を注意したときに「パパもときどきケータイ見ながら食べてるでしょ!」なんて見事に“口答え”されたら、「パパは忙しいから」なんてダサい言い訳はできないのだ。
先日もウインナーを焼いている最中に気が緩んでおならをしたら、「あっ! パパおならした。臭い!」と過剰反応してきた。換気扇が回っているから大丈夫、と慌てて伝えると、「違うでしょ! ウインナーを焼くから換気扇つけたんでしょ。おならのためじゃないでしょ!」などと鋭い指摘を受けてしまい、思わず吹き出してしまった。「結果オーライ」的な私の適当な対応が気に入らなかったようだ。
3歳になってからは自分で替え歌を作って遊ぶようにもなった。気がつくと《むすんでひらいて》の歌詞を「♪むすんだ、ひらいた~」と過去形で歌ったり、《手のひらを太陽に》を「♪ぼくらはみんな生きていない~」など否定形にしたりと、彼女なりに言葉のゲームを楽しんでいるようだ。
感情を伝えることが可能に
会話力が上達すれば様々な感情を言葉で表現できるようになり、おかげで私たち親にとっても子供との意思疎通がかなり楽になった。「なんで娘はやりたがらないのかな…」「なぜ積極的に行かないのかな」といった疑問も、彼女の考えを知ることで腑に落ちるようになってきたのだ。
例えば、テーマパークで子供たちに囲まれるピーターパンと一緒にツーショット写真を撮る順番が回ってきたときも、いざとなると、娘は大好きなピーターパンのところへ行こうとしなかった。あとで理由を聞くと、「だって他のお友達に迷惑かかるかなーと思って」と言う。どうやら彼女なりに《順番待ちをする子供たちに遠慮した》ようなのだ。
他にも、ずっとブランコに乗り続けるお兄ちゃんたちに「順番を代わってって、言ってみる?」と聞いたら「いい」と言うので、その理由を尋ねると「楽しそうだから言っちゃダメかなと思って…」と笑みを浮かべながら答えたときもあった。もしかすると、どちらのケースも単に《恥ずかしいから》という理由だったのかもしれないが、とりあえず心情を言葉にできるようになったことに大きな成長を感じている。相手の気持ちを知るのと知らないのでは大違いだ。言葉が話せるようになり、子供の意見や気持ちを一歩深く理解できるようになると、《会話》が親子の関係を築くうえで非常に重要なツールであることを改めて実感するのだ。
会話力は向上したが、保育園に通っていないという不安もある。《実は一般的な3歳児よりも語彙が少ないのではないだろうか》、《年の近い子供たちと上手に付き合う社会性は育まれているのだろうか…》。普段の生活で親以外と話す機会はほとんどないのだ。だから最近、妻から「今日、同じ年齢くらいの女の子と公園で会話してたの。なんだかすごく嬉しかった」と聞いた時は、私もホッとした。
夫婦間のコミュニケーション
2児の父となり、娘一人だった時よりも育児がさらに忙しくなったことは、実際に身をもって感じている。理性より感情で動く人間がまた一人増えたのだ。下の子が1歳にもなると自我が芽生え、動きも活発になり、いたずらも激しくなるなど手を焼くようになってきた。その結果、壮絶なオモチャやお菓子、ときにママの奪い合いが勃発するなど、子供にとっては互いの存在が“邪魔”になることもある。ケンカは絶えず、他にも二人同時に飲み物をこぼしたり、テーブルの上に登ったりと、家のあらゆるところでアクシデントや心配事が起きている状況だ。3児以上の家族を見ると「どうやってやり繰りしているんだろう」「うちよりもっと大変なんだろうなぁ」などといろいろ考えてしまう。
二人を観察していると日々発見があり、姉と弟で見た目や性格が全く違うことに、ある種の面白さを感じている。娘は神経質・慎重派・几帳面なタイプで私とそっくり。公園でばったり会った同僚は「顔がパパと完全に同じ」と爆笑していた。私の血が濃いのだ。逆に息子は少しガサツなところなど妻に似ている(妻も自覚している)。髪質も同じだ。でも、顔はどちらの親にも似ていない。それなのに、いろんな人から「雰囲気はパパにそっくり」と言われるのだから遺伝子とは奥が深い。
先ほど親子の《会話》について触れたが、夫婦間のコミュニケーションも円滑な日々を送るうえで重要なウエイトを占めると感じている。以前も書いたが、育児に家事にと多忙でピリピリしやすい毎日を過ごす中でも、相手に「丁寧に伝える」ことは、事を荒立てないために常に意識している。以前は私が短気なこともあり声を荒らげてしまう場面もあったが、妻から「今のうちに正さないとこの先、正直続かない」と“警告”されたことも意識の変化に影響している。ときに育児のプレッシャーに押しつぶされそうになり、アンガーマネジメントを本気で学ぼうと考えたほど、感情のコントロールが利かなくなることが増えてきたのだ。
また、たとえ事実だとしても、何かあるたびに「仕事が忙しい」で片づけてしまうのはNG。この一言で会話のドアを閉ざしてしまうと、妻は夫に頼ることができなくなる。相談となれば話は別だが、妻の愚痴ならただ聞いてあげるだけでいいのだ。別に夫にロジカルな解決策を求めているわけではないのだ。偉そうに語っているように聞こえるかもしれないが、ほんの数カ月前まで「仕事が忙しい」が私の口癖だった。そして、妻から強烈な説教を食らったのだ。とくにこれから2児育児に励む方にとって、少しでも私の失敗を生かしていただけると幸いだ。
次回は職場復帰後の《育児と仕事の両立》を中心に書こうと思います。12月7日に掲載予定です。お楽しみに。
※SankeiBiz編集部の男性部員が半年間の長期育児休業を取得した実体験をリポート。子育てに奮闘しながら気づいたことや疑問に思ったことを赤裸々に綴ります。【パパ編集部員の育休エブリデイ】のアーカイブはこちらから。