先週、20代後半が主体の学生のワークショップを見学する機会があった。30人以上の社会経験がある学生たちは世界各地からミラノにきている。ワークショップは、ファッションの買い物経験をデジタル化のなかでどう「リフレーム」するか。これがテーマであった。
グループ発表をみていて少々意外だったのは、どのチームも「店頭での服の買い物は面倒」という認識を前提にして議論していたことだ。男女の性別を問わず、である。そして、その面倒くささをどうショートカットするかに焦点がいく。
服を選ぶにはやっかいなことも多いが、ぼくは「彼らはファッションへの関心が相当に低いのか、どこの国の若年層もファッションへの関心低下が顕著なのか」と想像した。
高い授業料を払ってミラノの大学に留学してきているので、経済的に貧しいわけではない。しかもこのコースはデザインを学ぶところなので、ファッションにまったく関心がないとは考えられない。彼らの服をみても、そう外れたセンスをしていない。
次に、彼らの出身文化圏の違いを思った。
例えば、日本の店舗とは陳列している商品を客が思いのままに「触れる」空間である。そして熱心に触っている客に店員が「何か、お探しですか?」と聞いてくる。
一方、イタリアでは客が店員に自分の欲しいイメージを伝えるところからスタートする。「ショーウインドウに飾ってあるジャケットの色違いをみたい」「冬のこういった目的にあった靴を探している」と。イタリアでも客が勝手にモノに触れる店が増えているが、基本は店員との対話だ。
世界各地の店舗は、これらのタイプのどちらかになるだろうから、ぼくは客が勝手に触るタイプの文化圏からイタリアに来て面倒だと思っているのか、それとも、店員とコミュニケーションなしに買い物する文化圏でもまだ面倒と思うのか、そのあたりが一つの鍵になるかもと考えた。
「イヤホンで音楽を聴いていい気分になっているそのままで服を買いたいんだ。そこを店員に邪魔されたくない」
そう語る学生もいた。自分の世界に浸りながら、すべてをこなすのを理想としている。ファッションのコミュニケーションの世界に浸りきりたいとは思わないらしい。
言うまでもないが、どういうアイテムを買うかにもよるだろう。Tシャツなのか、ジャケットなのか、スーツなのか。価格帯にもよる。
確かにスニーカーは音楽を聴きながらマッチするアイテムかもしれない。しかしスーツを決めるのにも、店員との対話を嫌がるのだろうか。
ファッションのカジュアル化が進んでいる。高級ブランドメーカーもスニーカーを主力製品と位置付けている。フォーマルな服が高級の証ではなくなって、それなりの年数が経っている。
一方、高級ブランドが高い不動産価値のある店舗だけでなく、ポップアップストアにおいて、そこでしか味わえない経験を提供することに力を入れている。しかも、その対象としてミレニアル世代からZ世代を視野に入れはじめている。
どうも、こういう全体の動向とぼくがワークショップでみた傾向の辻褄が合わない。そして、かつてミラノにあったという靴の店のことを思い出す。
そこには店内にソファがあるだけだ。客を迎えた店員がゆったりと会話を交わし、客のことがよく分かると、店員は地下にある陳列台をみているスタッフに連絡。客が「気に入るであろう」と選択された靴がガラスケースに入って、一階まで自動的に運ばれてくる。客は自分も気づかなかった「欲しいもの」をギフトのように喜び、財布の紐を緩める。
ぼくはこの店のエピソードを思い出しながら、このショッピング経験は今や無効なのだろうか…と思うのだ。
確かに店員と話す気分ではない時、声をかけられると商品選択のタイミングを逸することがある。自分のなかで欲しいもののイメージがはっきりした時に、その不足分を補うためにスタッフに相談というパターンがある。
他方、自分の欲しいイメージをはっきりさせるために、スタッフと雑談しながらいろいろな商品を眺めて、「そう、そう、これが欲しかったんだ!」と気がつくこともある。
だから、この客の気分を読むことができるのが良い店員であり、また、客が「いや、もう少し1人で考えたい」と答えたら、そのまま離れてくれる。それが客の望む店員像だ。
だが、そうは言うものの、スマートに振る舞える店員が少ないのも現実だ。だから結果として、店員とのコミュニケーションは邪魔でデジタル化でトラブルを排除していこうとする。
さて、デジタル化とはトラブル解決のための玉手箱なのだろうか? あまりに「今さら感」がある問いに気がひけるのだが…。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。