身軽に移動、広がる活動 「アドレスホッパー」に会ってみた

 

 【持たない幸福 レス時代の暮らし】(上)

 決まった自宅を持たず、鳥が渡るように転々と移動しながら暮らす-。生き方の理想を「夢のマイホーム持ち」と逆に置く「アドレスホッパー」と呼ばれる人が、少しずつ増えている。

 アドレスホッパーを実践し、その暮らしや価値観を発信する市橋正太郎さん(32)に神奈川・鎌倉で会った。生活や仕事に必要なものを収めたバックパック一つでやってきた市橋さん。誰でも利用できる仕事場「コワーキングスペース」で仲間と落ち合い、事業の打ち合わせを始めた。この日は近くの定額住み放題サービスの家に滞在するという。

 宿泊費は月10万円

 帰る自宅を持たず、地域との交流を目指す点でバックパッカーではない。住所不定だが仕事はあり、住民税や所得税を納めている。

 市橋さんがそんなアドレスホッパー生活を始めたのは平成29年12月。「世の中の変化に取り残されないように」するためだった。

 京都大を卒業後、IT大手「サイバーエージェント」などに勤めた。以前は家賃13万円の家に住み、会社ではほぼ決まった人間関係のなかで、一日の大半を過ごした。暮らしは安定していたが、変化がスピードを増す時代に、安定はかえって淀(よど)みを生み、リスクになるとも思えた。

 「だったら自分を一番縛っている、住居を『変動化』してみよう」。住んでいた家を出た。

 以来、1カ所で1~2週間ほど過ごし、次の場所へという生活。昨年11月は秋田、岩手などの東北、石川、福井、12月は東京、神奈川、そして海外へ…。宿泊費は平均月10万円ほどという。

 一昨年の夏、会社を辞め、職も「変動化」させた。

 「結局、オンラインでどこででも仕事できる」。フリーで企業のマーケティング支援などを続けている。

 生まれたつながり

 「予定に『余白』があるほうが、土地の人、偶然訪れた人と『一緒に面白いことしよう』となったとき、ちゃんと形にしていける」という。宿は一日目だけを決め、あとは流れのまま。

 アドレスホッパー歴、丸2年。住まいと仕事を「変動化」し、人生に「余白」を作ったことで、かえって「仕事の活動領域がめちゃめちゃ広がった」。

 その時々に出会った人と「いいね!」と盛り上がったら、イベントや商品をプロデュース。米国の旅で知人に紹介されたベストセラー本「サードドア」の著者、アレックス・バナヤン氏の来日イベントを開いたり、岐阜県郡上(ぐじょう)市では地域活動家と意気投合して、日本三大盆踊り「郡上おどり」に欠かせない「うちわ、手ぬぐい、踊り下駄(げた)」の3点セットをプロデュースする予定だ。

 アドレスホッパーを始めたころ、兵庫県で公務員だった父に「家賃が払えないのか」と心配されたこともあったが、むしろ「(収入の)実入りはよくなった」。ただ、金銭的なことより、「一番の財産は世界や日本全国の人とのつながりが生まれたこと」だと話す。

 「幸せの正解は多様化している。一つの会社、一つの家にこだわらない選択もできること、移動しながらさまざまな人とつながることで新しい価値が生まれていくことを証明していきたい」

 アドレスホッパーの出現について、「世の中も自分自身も、この先どうなるか分からないという価値観の現れではないか」と話すのは博報堂生活総合研究所の三矢正浩上席研究員だ。

 人々の暮らしを定点観測してきた同総研が昨年7月、発表したレポートの副題は「『決めない』という新・合理」。背景にある人々の心理を「人生100年時代だからこそ、仕事や結婚などの選択を決め込みたくない」と紹介した。

 また、「生き方の標準や正解が徐々に失われている」とも三矢氏は指摘する。令和に入り財界トップが相次いで終身雇用の限界に言及。家を買い、車を買い、「人生を固めていく」という親世代の「正解」はもはや参考にならない。

 「それよりも身軽で変化に対応可能な自分でいるほうが戦略的に優位と、今の若者は考えています」と三矢氏は分析している。

 ◇ 

 「モノ」にも「コト」にもあふれた時代に生まれた軽やかな暮らしがある。昨年は消費税増税を受け、「キャッシュレス元年」とも呼ばれた。「レス」はもう、ネガティブな文脈を外れている。なくても、豊かな生き方をたずねた。