教育、もうやめませんか

机上の空論も大いに結構 科学教育にもビジネスにも「絵空事」が一番大事

野村竜一

 「実質無限にお金があったらどうするか」

 「全く新しい学校を作ろうとしています!」と綺麗なプレゼンシートを使って語っても、やはり人々の具体的な賛同やサポートを得ることは難しいという実感があった。そこで取り掛かったのが、我々の思い描く教育環境の“プロトタイプ”作りだった。「まったく新しいタイプのサイエンス・インターナショナル・スクール」のお試し版として、約1週間という短期の「サマースクール」を開催する計画だ。

 前回も触れたが、「生徒の実際の研究活動」と「多様な分野の専門家によるレクチャー」というプログラム内容はほぼ計画旗揚げと同時に決めていた。この第1回サマースクールが、2020年9月に開校に漕ぎつけた“本番”Manai Institute of Science and Technology(以下Manai)の原形となった。

 私がプロジェクトを進める時に大切にしている考え方がある。何かを計画する時にまずは実現可能性を無視し、理想の選択肢を想定することだ。例えば「実質無限にお金があったらどうするか」「相手がOKと必ず言ってくれるとしたらどういう案をつくるか」を描き切った後に、実現性を加味して計画をアジャストする。

 実は、この「制限を無視してまずは理想の状態を構想せよ」というのは、この後にManai設立プロジェクトにサポーターとして参画する連続起業家の孫泰蔵さんからの助言だ。Manaiのビジョンや施策の多くは孫氏からのアドバイスや彼とのディスカッションを通して生まれた。

 「私は協力したいが、組織が」

 横須賀市からは計画への賛同を得られ、市と鉄道会社で運営する横須賀リサーチパークをサマースクール会場として借りることになった。その後、他のタスクと同時並行してアプローチを開始していた研究者や企業にも正式な講義依頼を急ピッチで行った。サマースクール開催の6~7カ月前はほぼ毎日、ネットワークを拡大すべく、国内外の大学や研究所や企業を訪問させてもらい、ご挨拶およびプロジェクト説明、そして協力依頼をおこなった。個人の研究者にメールで連絡をとり研究室を訪ねたことも多くあった。

 この活動中、訪問した研究者たちの多くが若年層への科学教育の必要性を口にしていた。まさに我々がManaiを立ち上げる時に考えていたことを多くの研究者が焦りを伴って考えていた。

「研究自体は頑張れる。そんな簡単に欧米の連中に負けない。しかし官や企業を巻き込んで研究を拡大させる力が我々アジアの研究者、および環境には圧倒的に不足している。自らのビジョンを、研究自体を語り人を動かす力というのはこれまでの学校教育や研究者育成の方法では賄えない」

 このように話す研究者の言葉が印象的だった。Manaiで育てたい新しい時代の研究者マインドの一つがこの言葉から生まれたと思っている。

 そして研究者たち個人の焦りを伴った想いと同時に、組織に属する研究者の立場というものが強く影響することも知った。Manaiのような活動には是非協力したいと言ってはくれるものの「大学の教授会がそういった活動は認めない」など、「私は協力したいが、組織が」というケースも多かった。もちろんこれは誰を責めるというものではない。地道にManaiの活動を行い実績を作り認知を、そして賛同を得るべきだという我々の想いが強まった。

 「ナイス、フラワー!」

 サマースクールは開催地選びにもこだわった。サマースクールの開催地は、そのままManai開校の地にするつもりだったというのもある。

 (1)周辺に連携できる国際的な法人や団体がある(2)都心からのアクセスがよい(3)都市自体に国際色がある(4)自治体の首長が改革派であり先進的な取り組みに理解がある(5)港町、もしくは港町として栄えた歴史がある…というのが条件だった。Manaiはやはり世界に開けた場所にあるべきだと考えたからだ。

 そんな条件を実現性を無視して探している中、いくつかの候補の一つとして浮上したのが神奈川県横須賀市だった。日本が外国に対して開くきっかけとなった土地だ。そんな場所に世界中のタレントが集まり、そしてまた世界に散らばっていく。物語として最高だった。

 横須賀市役所に勤める知人に連絡をとり計画を説明し、市の後援をもらうべく市長にプレゼンテーションできないか打診した。幸いにも、須賀市からは計画への賛同を得られ、市と鉄道会社で運営するリサーチセンターをサマースクール会場として借りることになった。

 横須賀市役所を訪れた際、街の国際的な空気に触れる機会があった。その近くの郵便局で、おそらく帰宅途中の米軍関係者が花束を持って順番を待っていたところ、そこを通りかかったおじいちゃんがとても自然に「ナイス、フラワー!」と笑顔で話しかけていた。横須賀でのサマースクール開催への想いを強くした出来事だった。

 「50年後に抱える課題の解決方法を提案せよ」

 生徒は世界中から募った。サイエンスに国境はないと信じているし、ダイバーシティのある環境にしたかったからだ。応募数は募集人数を超えたため選考も行い、最終的には日本を含むアジア4カ国から25名の生徒が参加してくれた。

 調査・研究活動中心とし、その合間に各分野専門家からのレクチャーが行われた。生徒には初日にお題が提示される。初回は「50年後に人類が抱える課題を想定し、その課題を科学技術で解決する方法を調査し発表せよ」というもので、毎日深夜までグループディスカッションとリサーチが行われた。

 倫理やプレゼンテーション技法など、新しい時代のサイエンティストに必要とされるだろう内容にも取り組んでもらった。最終日である7日目には、プログラムの集大成として、グループでプレゼンテーションを行った。

 約半年かけて準備した第1回サマースクールはManaiの方向性を固めるのに大きな役割を果たした。多くのフィードバックも得られた。講義依頼のためにアプローチした研究者らが口にする科学教育の課題や焦りから、Manaiで育てたい新しい時代の研究者マインドも生まれた。国籍、年齢、性別、信条、経済的な豊かさなどがそれぞれ異なる人間同士の“ごちゃまぜ”環境で学ぶことの重要性も改めて認識した。

 2018年からはスプリングプログラムも開始し、Manai開校までに、計7回の季節プログラムを実施することができた。こうしたプロトタイプづくりにおいてさえ、とにかく理想形を求める必要がある。理想の状態とはまさにビジョンのことだ。ビジョンが描けなければ計画は進まない。調整してばかり、妥協してばかりでは得られる成果も小さい。

 「制約条件の中で物事を最適化し、それにより評価を得る」。このことに我々はあまりに慣れすぎているため、絵空事すら描けなくなっている。仮にそれが机上の空論だろうと絵空事と言われようが構わない。「絵空事を並べること」がまさにプロジェクト・プロデューサーの条件であり、我々が数回の季節プログラムを通して得た、生徒に求めたい資質の一つだ。


Manai Institute of Science and Technologyは2020年5月、高校生研究者の発表会を開催します。自分の研究テーマを持ち、専門家であるメンターからの指導、世界中の研究者仲間との交流をしたい人には最高の舞台。この機会に自分の研究テーマを発表してみませんか? 詳細はこちら

野村竜一(のむら・りゅういち) エデュケーションデザイナー
Manai Institute of Science and Technology代表
1976年東京都生まれ。東京大学卒。NHK、USEN、アクセンチュアを経て「旧態依然とした教育が人の学びを阻害している。学びをアップデートさせたい」との思いから起業。2019年秋、サイエンスに特化したインターナショナルスクール「Manai Institute of Science and Technology」を開校した。「サイエンスを武器に世界中で夢をカタチにし、課題を解決できる」人物の輩出を目指す。論理的思考力養成の学習教室「ロジム」も経営。

教育、もうやめませんかは、サイエンスに特化したインターナショナルスクールの代表であり、経営コンサルタントの経歴をもつ野村竜一さんが、自身の理想の学校づくりや学習塾経営を通して培った経験を紹介し、新しい学びの形を提案する連載コラムです。毎月第2木曜日掲載。アーカイブはこちら