(10)高3で白血病に 小林聖さん
15~39歳頃までの思春期と若年成人(Adolescent and YoungAdult)を指すAYA世代。この世代のがん患者には進学、就職、結婚など中高年とは違った課題が存在する。17歳で血液のがんである「急性リンパ性白血病」と診断された千葉県の小林聖(せい)さん(19)は、厳しい治療に向き合うなかで「教師になる」という新たな夢を見つけた。2度目の高校3年生を終え、この春、大学に進学する。(油原聡子)
バレー部主将で発症
急性リンパ性白血病と診断されたのは平成30年5月でした。背中が痛くなり、急に高熱が出ました。バレー部でキャプテンを務めていましたが、試合中も体調が悪かった。部の保護者に看護師の方がいたので診てもらうと、目の下が真っ白。「貧血かもしれないから病院に行った方がいい」と言われて、地元の内科で血液検査を受けました。
その翌日。学校にいたら、母親からすぐに帰ってくるように電話がありました。家に帰ると、開口一番「あんた、白血病かもしれない」と告げられました。「まさか」って思ったけれど、その日のうちに都内の病院で精密検査を受けた結果、「急性リンパ性白血病です」と告知されました。
病気のことはよく知らなかったけれど、「これはもう死んだな」と落ち込みました。心配させたくない気持ちが強すぎて、親の前では涙は見せられなかった。
そのまま入院することになりましたが、親と入れ替わりで兄と姉が来てくれたんです。きょうだい3人で泣きながら話をしたことで、生きる気力が持てました。どんな会話をしたかは3人だけの秘密です。
兄から骨髄移植
治療はまず、ステロイド剤を使いました。副作用がひどく、食べようとしても吐いてしまう。うつ状態になり、会話中でも感情がいきなりプツンと途切れるんです。自分がなくなっていくような怖さがありました。祖母の励ましで乗り越えられましたが、このときが一番つらかったです。
治療を進めるうちに染色体異常が見つかり、骨髄移植を検討することになりました。ただ、骨髄移植をすると付属大学の内部進学試験に間に合わない。友達と一緒に卒業したかった。でも、難しいタイプのがんだと判明し、治験に参加することや10月に兄から骨髄移植を受けることが決まり、休学になりました。
ただ、通っていた私立高校の先生は親身になってくれました。翌年4月から復学しましたが、学校側は病院まで来て対応を学んでくれました。移植によって免疫力が落ちてしまい、ちょっとした病気が命取りになるのですが、クラスメートの理解もあり、同じ教室で授業を受けることができた。恵まれた環境でした。
家族が支えに
222日間の入院中もその後も、家族がいつも通り接してくれたことがありがたかったです。話す場所が家から病院になっただけで家族のあり方は変わらない。ぼくの口癖の「負ける気がしない」って言葉を書いたTシャツを姉が作ってくれたこともありました。
小児病棟の仲間との時間も支えでした。病室で間仕切りのカーテンを開けて話をしました。大学で何がしたいとか、みんなでディズニーランドに行きたいとか。退院後の未来を語るのが楽しかった。
将来の夢も見つかりました。入院中に、中学の恩師からメッセージがきたんです。「貴重な青春が奪われた経験があるからこそ、高校生活の大切さを教えられる」と教師を勧められました。人に教えるのは好きだったし、「向いているなら」とこの言葉をきっかけに進路を決めました。
今も治療は続いています。病院で出会った子たちには、亡くなってしまった子もいます。これまでの人生や、やりたいことを聞いていたから、余計に「本当はこんなことしたかったんだろうな」って気持ちがこみあげてくる。
将来は高校教師になって、病気になった自分だからこそ伝えられる、命の尊さや学生生活の大切さを教えていきたいです。