【ニュースを疑え】「その日暮らし」の発想 アフリカ路上商人に学ぶ「微妙な負い目」とは
終身雇用は崩壊した、老後資金が2000万円足りないなど、将来の不安をかき立てるニュースがとにかく多い。人類学者の小川さやかさんは、未来に備えて今を生きる日本人にない発想を、アフリカ・タンザニアの零細商人たちの「その日暮らし」に発見した。そこには不安定な世界を生き抜く、目からうろこのセーフティーネットがあった。(聞き手 坂本英彰)
--タンザニアで実際に路上商人になり、体当たりで調査をしたのですね
「はい。路上商人の多くはその日暮らしで、日本人のように貯蓄に励んだりしません。自発的なときも、ねだられて仕方なくというときもありますが、いろんなひとに金や物を貸したり与えたりする。ただ、そうした金品の貸与により、困ったことが起きれば、誰かが助けてくれるというセーフティーネットができます。何かあったときには、人間関係のなかでやりくりしているのです」
「日本人は借りたものはなるべく早く返そうとするでしょう。でも彼らは、貸し借りの帳尻を必ずしもすぐには解消しない。誰もが誰かにお金を貸し、また誰かに借りているという状況で、多くの人たちとの間で互いに微妙に負い目を残しておくんです。すると何かあったときには、誰かに助けてもらえる形になる」
--私たちの常識と違い過ぎて想像しにくいですね
「タンザニアの長屋で、こんなことがありました。住民の男の子に好きな女の子ができたけれど、俺は貧乏だからアプローチしても振られるなどとうじうじしているのです。すると、情けないこと言うなとみなが尻をたたき、靴屋をしている仲間は一番いい靴を、古着屋の仲間は露店にあった一張羅(いっちょうら)をそれぞれ1日だけ貸し、雇われタクシー運転手はボスに内緒で2時間だけ車を使わせてあげた。私もお小遣いをあげました」
「彼は一夜にして超ハイスペック男に変身し、女の子とつきあうことに成功したうえに結婚までした。もちろんメッキはすぐはがれました。でも彼女は私にこう言ったのです。『たしかに彼は何も持っていない。でもいざというときに貸してくれる友人がいれば、それらは持っていることとほぼ同じでしょう。子供が病気になったら、きっと運転手はまたタクシーを貸してくれるわよ』って」
裏切りと親切に満ちあふれ
--昨今流行のシェアリングのようでもあります
「たしかにコンピューターに例えると、彼らの考え方は、自分のパソコンにさまざまな能力や資産をインストールして保存しなくても、インターネットを介して多様な能力や資産をもつひとたちと連結してそのつど利用すれば、別によいというイメージにも近いですね」
「私の本に『ボス』の愛称で登場する、香港に長期滞在しているタンザニア人のブローカーはすごいですよ。大統領秘書から詐欺師や囚人に至るまで、500人もの連絡先がスマートフォンに登録されているんです。ほとんどの人との関係はスリープモードですが、起業から犯罪絡みの事件まで何が起こっても何とかなると言うんです。それは全く誇張ではありません」
--どうしてそんな生き方をしているのですか
「ひとつの背景は不確実性を前提にしているからです。未来は誰にとっても不透明ですが、彼らはそれにより自覚的です。行政はあてにならない。銀行から融資を受けるのは難しい。誰かに貸したものが返ってくる保証はない。裏切りたくなくても裏切るしかなくなる事態に人はよく陥る。確実な期待や信頼の遂行を求めあうのはお互い負担だ。そのような状況でさまざまな可能性に投資していくという生き方は、ある意味で合理的です」
「でも不思議とモノやサービスが、持っている人から必要な人に流れていく。裏切りに満ちあふれているが、親切や贈与も同じくらい多い。タンザニア路上の社会的世界も香港の地下経済でも警察が十分に機能しない混沌(こんとん)とした状況ですが、だからといって万人の万人に対する闘争にも、相互監視型の社会にもならずに、それなりに回っているのです」
ジェネラリストとして生きる
--中央の権威がないのはネットの世界に近い
「先にも言いましたが、実際にネットとの親和性は高いですよ。彼らはいまではSOSでもアイデアでもとにかく、SNSに投稿する。興味なし、応えるひまも金もないというひとたちは、スルーします。投稿する方は釣り堀のように、たまたま誰かが反応して食いつくのを待つ。何回かに1回は、1人くらいは応答するだろうと。応答はあります。だって誰にも一度も応答しなかったらフォロワーができず、自身が必要とするときに困るので、無理なくできるときにはしておくほうがいいからです」
「国がしっかり機能して再分配する形が整っていれば、生活保護を申請したり奨学金を取ったりすればよいという発想になるかもしれません。でもタンザニアの路上商人や香港のタンザニア交易人たちはインフォーマルセクター、非公式経済部門ですから、自前でやりくりしていく仕組みをつくる必要があります」
--日本でも不確実さが増してきた。彼らの生き方は全く関係ないとも言い切れないようですね
「大企業でも副業が解禁される時代になり、非正規雇用のように安定的な人間関係を基盤にするのが困難な人、あるいは固定的な場所で仕事をしない生き方を選択する人も増えてきました。そうなると同質のひとたちが集まる組織内のつきあいより、異質で多様なひとたちとの人間関係のほうが重要になる場合もあるでしょう」
「日本にはもの作りのスペシャリストが経済を支えてきたという考えがありますが、アフリカのインフォーマル経済では特定の仕事に専業化しません。それは、ある程度いろんなことができれば、何かあったときにも別の何かで生きていけると考えるからです。ひとつに絞って通用しなくなったら終わり。いろんな仕事や商売をして、ジェネラリストとして生きるひとたちが多いのです」
不確実性をどう生かすか
--あべこべの考えがおもしろいですね
「ただ、それは日本とアフリカの違いではないと思うのです。日本でも貯金なんてものがなかった時代もあります。ところがいまは、あなたが金銭的に困るのはあなたが頑張って仕事をしなかったり、貯金をしなかったりさぼってきたせいである、ひとに迷惑をかけず自律的に生きる価値観がなぜか特権化しているのです」
「以前にある方からこんな話を聞きました。『昔は大阪でバスとか乗り物に乗るときには誰も並ばなかった』って。それでも何となく誰が最初に来たかを知っていて、妊婦やおばあちゃんは後から来ても何となく先に乗せてあげていたそうです。ところが、ある日、白い線が2本引かれた。するとまわりのひとたちに対する配慮も関心は消えて、何も考えず来た者順に並ぶようになった」
--並ばないのは大阪人のマナーの悪さのように言われたのですが、見方を変えれば違って見える
「将来はもともと不安定なものですが、不安定や不確実を解消しようとするばかりが解決策ではないかもしれません。不確実であることをどのように生かすかを考えるのもまた一つの解決策です。日本でタンザニア商人のように生きる必要は全くありません。でも別の生き方があるんだということを知っていてもいいと思いませんか」
【プロフィル】おがわ・さやか 立命館大先端総合学術研究科教授。昭和53年、愛知県生まれ。京都大大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。国立民族学博物館助教などを経て現職。タンザニアの行商人社会を研究した「都市を生きぬくための狡知-タンザニアの零細商人マチンガの民族誌」でサントリー学芸賞受賞。他の著書に「『その日暮らし』の人類学」「チョンキンマンのボスは知っている」
【ニュースを疑え】
「教科書を信じない」「自分の頭で考える」。ノーベル賞受賞者はそう語ります。ではニュースから真実を見極めるにはどうすればいいか。「疑い」をキーワードに各界の論客に時事問題を独自の視点で斬ってもらい、考えるヒントを探る企画です。
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