【ゆうゆうLife】家族がいてもいなくても(634)回るレコード、時代も回る

 

 食堂が居酒屋に変わる週末の夜。食事を終え、一人去り、二人去り…。でも、まだ飲んでいる居残り組の中で、「この自粛、自粛の折に飲み会って、どうなの?」との話になった。

 しかも、ほぼ基礎疾患ありの高齢者、医療崩壊なんかしたら見捨てられる立場、なあんて思っていたら、誰かが言った。

 「ま、運命共同体ってことさ」と。それを聞きながら、そうか、人生の晩年にここで出会ってしまったわれわれは、新型コロナウイルスの危機もともに、ということかしら、としんみりしてしまった。

 思えば、1カ月前、同じ居残り組でぐずぐず飲んでいたときは、好きな歌手の話で盛り上がった。

 その時、「浅川マキ」の名が挙がり、彼女のLPを誰かが持っていると言うので、この夜にみんなで聞く約束になっていたのだ。

 急に「あっ、浅川マキ」と、声を挙げたら、なんとすでにLPレコードもプレーヤーも準備されていて、すぐにも浅川マキの「夜が明けたら」の曲が流れだした。

 聴いたとたん、思いがけずに目に涙がにじんだ。

 誰かが言った。

 「ええっ、こんな明るい声だったんだ。もっと、ハスキーで暗~い声で歌っていたと感じていたのだけど」

 「つまり、聴くこちらが若くて、暗かったってことじゃないの」

 居残り組は、おおむね70代。

 その世代の中でも浅川マキを聞いていたのは、寺山修司の芝居とか、新宿ピットインのジャズとかが好みだった、暗くて、なにやら拗(す)ねた感じの若者たちだった。

 そんな時代の中を共に生きた同士が、たどり着いたのが、「へえ~っ、この過疎の高齢者住宅ってわけなのね」と、思わぬ発見をしてしまった。

 当時はみな20代。若者は政治的にも挫折し、皆、貧しく、お風呂なしで共同トイレの狭いアパートに暮らしていた。

 そんな時代にそれぞれが思いを馳(は)せていると、浅川マキの「ふしあわせという名の猫」の歌が流れた。

 貧しい若者は、みんなどこか不幸せ感を漂わせていた。そう、この歌を聴いていた70年代には、石油ショックで、皆が買いに走ったトイレットペーパー騒動、そしてインフレ、就職難…。

 そういえば、数日前にテレビで経済評論家が言っていた。景気が悪いのに物価が上がる「スタグフレーション」危機が…と。コロナ後には、またあんな時代がくるのだろうか。(ノンフィクション作家・久田恵)