高級食パンブームの仕掛け人 豊かな食文化体験で地域活性化

 
「パン店で地域の活性化や文化振興に貢献したい」と話す岸本拓也さん=大阪市浪速区(恵守乾撮影)
自慢の高級食パンを焼き上げる「キスの約束しませんか」のスタッフ=大阪府東大阪市
ホテルマン時代の岸本さん。自分磨きのため、ボーナスや給料を惜しみなく自分に投資し、ヒットメーカーに(本人提供)
4月4日にオープンした高級食パン専門店「キスの約束しませんか」。前日の内覧会前に、成功を祈る神事が行われ、岸本さん(右から2人目)も参加した=大阪府東大阪市
1月18日、千葉県市川市にオープンした「だきしめタイ」の店舗前で、自慢の高級食パンを手にほほ笑む岸本さん。“だきしめたくなるほど愛情が詰まったパンを提供する”というコンセプトに沿った個性的なデザインの紙袋も人気(ジャパン ベーカリー マーケティング提供)

  ベーカリープロデューサー・岸本拓也さん

 「考えた人すごいわ」「だきしめタイ」「わたし入籍します」-。これ、映画やドラマのタイトルではない。全て、高級食パン専門店の店名なのだ。いま、全国で増殖するこうしたパン店の仕掛け人が、ベーカリープロデューサーの岸本拓也さん(44)だ。店名と同様、1970年代の欧米のロックスターのようなサイケで奇抜なファッションも、インパクト十分。モノがなかなか売れない時代に、着実にヒットを生み出す斬新なアイデアの源泉はどこにあるのか。徹底的に聞いてみた。(聞き手 岡田敏一)

 「キスの約束しませんか」開店

 大阪府東大阪市の近鉄布施駅から南に徒歩約4分。プチロード広小路商店街に4月4日、「キスの約束しませんか」という“謎のお店”が開業した。岸本さんが経営する「ジャパン ベーカリー マーケティング」社がプロデュースを手掛けた145店舗目のパン店で、71店舗目の高級食パン専門店だ。毎朝、食パンを口にすることを食パンとのキスになぞらえ、毎日食べてほしいという願いを“約束”とし、大阪の主婦をドキドキさせるくらいおいしい食パンであることをイメージしたという。

 標準タイプが「ソフトキス」(2斤800円)、レーズン入りが「キッスな果実」(同980円)などと商品名もユニーク。小麦粉や国産バター、ジャージー牛の生乳から作った生クリームなど、原材料や製造法にもこだわり、品質も味わいもピカ一の商品に。開業日は、オープンの約1時間前から約200メートルの行列ができた。

 父は消防士、母は専業主婦という家庭で育った岸本さん。「小学生の頃から電車が好きで地図帳ばかり見ていました。知らない土地に行くのがすごく好きで、毎年、夏休みに父親に旅行に連れて行ってもらうのがうれしくて」というおとなしい子供だった。中学に入ると、世は90年代の第2次バンドブームの全盛期。「2年生の頃から音楽にのめりこみました。ユニコーンやブルーハーツをよく聴きましたね」。

 3年生のときに英国に数週間ホームステイした際は「スコットランドの楽器屋で出会ったフォークギターに惚(ほ)れ、無理して購入」。帰国後、地図帳を眺める日々が一転、ギターとバンド活動に明け暮れる日々に。高校では「運動部の連中より女性にモテたい」とバンド活動を活発化し、ファッションにも凝り始めた。「音楽とファッションは一体化していますから」。同時に生徒会長としても活躍したが、期せずして転機が訪れる。92年のスペイン・バルセロナ五輪だ。

 「テレビ中継で見たバルセロナの美しさに魅せられました。同じ頃、海外でも成功した大手小売りチェーン、ヤオハングループの和田一夫・元代表の本を読み、海外で働くとともに、日常に暮らす生活者を幸せにする仕事がしたいと…」。そんなわけで大学は関西外国語大学(大阪府枚方市)に。とりあえずバルセロナをめざしスペイン語学科に進んだ。音楽とファッションと旅。ここに食が加わるのは必然だった。

 ホテル勤めで才能開花

 スペイン・バルセロナで働くことを目標に、関西外国語大学のスペイン語学科に入学した岸本さん。語学習得に加え、旅とバンド活動にもさらに注力。「寝屋川市のレコード店などでアルバイト」に励み、稼いだお金は全て音楽とファッションと旅に費やした。「高校時代から、3歳年上の姉に買ってもらったバーバリーのマフラーをしたり、父親の革靴を履いて通学したり。大学時代はバイト代がたまるとたびたびパリなどに旅行し、ブランド物のファッションを買いあさりました。異国の食文化に触れ、食に興味を持ち始めたのもこの頃ですね」

 そうこうするうちに「海外のホテルマンの質の高い給仕ぶりに感銘を受け」、就職先として、外資系のホテルと航空会社の客室乗務員をめざした。「人を感動させると同時に、自分をどう演出するかに興味があった」と振り返る。しかし航空会社は全滅。結局、平成10年に「横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ」(横浜市西区)に就職。バイキングレストラン部門を経て、ルームサービスの部門に配属されるが、語学堪能で各国の食文化に詳しい岸本さんは、ルームサービスの仕事で飛び抜けた才能を発揮する。宿泊者の部屋に料理を運ぶだけでなく「観光ガイドブックを手に、夜景のきれいな場所を助言するなど、さまざまなサービスを提供しましたね」。感激した宿泊客からのチップが次々と岸本さんのもとに。仰天した別の上司が結局、バイキングレストランの部門に引き戻したが、ここから岸本さんの大活躍が始まった。

 ワインセールのコンテストではダントツの売り上げを記録。「ワインを売って、さらにお客さまからワインについて学べることがうれしかったんです」。そんなポジティブ・シンキングの連鎖は周囲を巻き込み、「岸本という新人は面白い」と評判に。シェフや総料理長も岸本さんのモノを売る才能と、ワインをはじめとする食の知識の豊富さに大いに驚いた。「当時はボーナスを全額つぎ込み、シェフたちとニューヨークなど海外に出向き、向学を深めました」

 岸本さんの特異な才能を誰もが認めざるを得なくなったころ、総料理長が「君は企(くわだ)てる仕事をやりなさい」と、まだ27歳の岸本さんをバイキングだけでなく、和食、フレンチ、中華、バーラウンジなど、飲食部門の全てを担当するマーケティングの事実上の責任者に抜擢(ばってき)した。そんな総料理長の期待に岸本さんは見事に応える。

 「ベルギーって、日本人の好きなビールやチョコをはじめ、ムール貝がおいしいので、ベルギーフェアをやれば当たると思ったんです」。企画書を通すため自腹でベルギーに出向き、リサーチ。現地の系列ホテルの料理長や在日ベルギー大使館などを巻き込み、全館で展開したベルギーフェアは歴史的なヒットになった。

 そんなころ、父親の口ぐせが脳裏をよぎるようになる。「公務員だった父は、僕が小学生のころからいつも『拓也、喫茶店をやりなさい』と言っていました。自分で起業する勇気がなかったんでしょうね。だから僕はいずれ、何らかの形で起業をするんだろうなとおぼろげに考えてはいたんです…」

 豊かな食文化体験を

 就職したホテルで当時、最年少の27歳でスーパーバイザー(主任)となった岸本さんだが、結局、父の教え通り独立・起業に踏み切った。勝算はあった。パンだ。「シェラトン時代、ニューヨークでベーグルに出会って以来、パンにどんどん興味が膨らみまして。菓子パンから総菜パンまで幅広い。付加価値が付くビジネスだと考えたんです」。まずは高級ホテルでしか買えないようなパンを売る「TOTSZEN BAKER,S KITCHEN(トツゼンベーカーズキッチン)」を平成18年、東急東横線の大倉山駅(横浜市港北区)近くに開業した。

 店名には「突然、帰り道が楽しくなるようなパン屋に」との願いを込めた。ドイツのパン屋っぽい響きを狙い「TOTSUZEN」から「U」を取った。一帯は流行に敏感な高所得者層が多く住む地域。岸本さんはスーツにネクタイ姿でホテルのコンシェルジュのごとく接客した。「来られたマダムに、夕食が何か尋ねたり、『このワインに合うパンならカンパーニュですよ。日持ちしますしね』とか言って。バンバン売れました(笑)」

 店は雑誌などで紹介される超人気店に。しかし競合店が増えるとともに岸本さんはあることに気付く。「人々が本当に求めているのは普通のクリームパンやメロンパンだったんです」。とりわけ人々の日常に欠かせない食パンの高い将来性に着目。材料から配合、製造過程に至るまで研究に研究を重ねた。そうして生み出した高品質の食パンを売る専門店のプロデュースを手掛けることになる。

 30年、その第1弾となる「考えた人すごいわ」(東京都清瀬市)が開業。インパクトのある店名とは裏腹に、ほんのり甘く、ふわふわで絶妙の口どけの食パンにリピーターが続出。たちまち行列のできる人気店に。その後も「うん間違いないっ!」(東京都中野区と練馬区)、「非常識」(大阪市)、「もう言葉が出ません」(鳥取市)、「わたし入籍します」(大阪府枚方市)など、各地に“行列店”が続々登場。

 昨年12月にはミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴンに日本スタイルのパンを販売するベーカリーカフェ「Yuki Mugi(雪の麦)」も開業、アジア進出への足掛かりも築いた。

 なぜそれほど支持を得られるのか。一つには、パン店で地域の活性化や文化の振興に貢献したいという岸本さんの哲学が人々をひきつける。実際、最初にプロデュースしたのは東日本大震災の被災地、岩手県の大槌町で25年に開業した「コッペパン」の専門店「モーモーハウス大槌」。震災の約1年後、24年に依頼を受けた仕事だった。25年にプロデュース業を法人化して大成功。異業者からの依頼が絶えない。大阪府東大阪市に今月オープンしたばかりの「キスの約束しませんか」も、経営母体は大阪市のビル管理会社。代表が岸本さんと大学時代の同級生だった縁で開業の運びとなった。

 奇抜さや意外性を巧みに利用し、パンを売る先にある豊かな食文化体験をプロデュースするというビジネスを成功させた岸本さん。確かに「考えた人すごいわ」とうならされる。次の一手が気になるところだ。

 きしもと・たくや 昭和50年、横浜市生まれ。関西外国語大学外国語学部スペイン語学科卒。外資系ホテルを経て20代後半で独立。平成18年、横浜市にベーカリーカフェ「TOTSZEN BAKER’S KITCHEN(トツゼンベーカーズキッチン)」を開業。23年から異業種のベーカリー開業を支援するコンサルティング業務を開始。25年、その業務を専門に請け負う会社「ジャパン ベーカリー マーケティング」を同市に設立。