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金とトキと、美しき大地 佐渡島(新潟県佐渡市) 小林希 

 新潟市の新潟港から佐渡汽船のジェットフォイルに乗って67分、日本海に浮かぶ佐渡島(さどがしま)に着く。択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、沖縄本島に次ぐ面積を誇り、いにしえより「日本から独立しても自立できる」と語られるほど、自己完結が可能な島である。

 まず、豊沃(ほうよく)な大地に広がる稲田からは、うま味のある米が豊富に収穫できる。季節の野菜や果実もたわわに実り、海の恵みもつつがなく享受できるのだ。そうした地場力が人の暮らしを支え、独自の文化や伝統行事などが発展してきた。

 しかし、長い歴史の遷移(せんい)を語るうえで最大の基軸となるのは、佐渡金山だと思う。古い記録によれば、平安時代から島で金鉱脈が発見されていたそうだが、本格的に採掘が始まったのは、1601年に3人の山師によって開山されたと伝えられる相川(あいかわ)の金山だ。

 佐渡島は日本最大の金の生産地となり、江戸時代には佐渡奉行所で小判が製造され、国際貿易にも大きな影響を与えた。明治時代には西洋式技術や機械が導入され、金の生産量は飛躍的に増加して、日本の近代化へ大いなる貢献を果たしている。そのころの近代的なコンクリートの鉱山遺跡群は今も相川に点在している。

 相川の金山坑道跡を歩いた。手掘りで採掘していた江戸時代と機械化が始まった明治時代では、坑道の様子に変化がある。時空を遡(さかのぼ)るかのように、脈々と続く時間の流れを肌で感じる。同時に、富や夢の象徴とも言える金の生産に、地下深く、狭く、仄(ほの)暗い過酷な場所で多くの炭鉱員が従事していたという舞台裏も心に刻みたい。

 島内では平成元年に閉山されるまで、388年間にわたって採掘が続き、坑道は総距離約400キロの規模にも及ぶ。

 それから島をめぐった。赤いくちばし、ほのかにピンク色の羽を広げたトキが、美しい棚田に舞い降りる。「かつて当たり前だった光景ですよ」と島の人は言う。少しずつトキの数は増えているそうだ。

 古き良き時代を今に、未来に復活させようとする島の人たちの努力があって、在りし日の懐かしい過去と出合える。佐渡島は外交・防衛の面からみれば、日本の国境に立ち、昔日から間断なく警戒状態は続いている。そうした中でも、豊かな土地の底力と日本を支えた誇りをもって、ますます国内随一の懐かしく、美しい島になっていくだろう。

【アクセス】

 新潟港(新潟市)-両津港(佐渡市)の航路のほか、直江津港(新潟県上越市)と小木港(佐渡市)を結ぶルートも。空路は運休中

【プロフィル】 小林希(こばやし・のぞみ)

 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。1年後に帰国して、『恋する旅女、世界をゆく-29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマに執筆およびフォトグラファーとして活動している。これまで世界60カ国、日本の離島は100島をめぐった。令和元年、日本旅客船協会の船旅アンバサダーに就任。新著は『今こそもっと自由に、気軽に行きたい! 海外テーマ旅』(幻冬舎)。