5時から作家塾

管理は厳重も…ベトナム隔離生活を快適に過ごせた3つの条件

筑前サンミゲル

 「監獄のような生活だった」

 新型コロナウイルスの影響で、観光客の海外渡航は制限された状況が続くが、ベトナムや中国、パキスタンなどへビジネス目的での渡航は徐々に再開されている。

 現在、渡航する人は主に新型コロナ前から駐在していた駐在員や3か月単位での往来を繰り返しているような技術指導や現場責任者のような仕事をするビジネスパーソンがほとんどだ。

 新型コロナ感染対策で各国へ入国後に隔離処置を実施している国は多い。日本のように要請ベースではなく、強制力がある隔離処置をとる国も少なくない。

 9月上旬にベトナムの商都ホーチミン市へ渡航し、2週間の隔離生活をした商社のAさんは、「監獄のような生活だった」と振り返る。

 Aさんは渡航直前にベトナム入国時に求められる陰性証明となるPCR検査を受けた。費用は4万円、内訳は検査費用3万円、英文発行費用が1万円だった。ベトナム入国後、隔離されるのはホテルで、複数から選択することができた。Aさんは提供される3食が充実している米系ホテルを選択した。宿泊費は1泊140ドル(約1万4800円)。もちろん、すべて自己負担となる(Aさんの場合は全額会社負担)。

 管理は厳重もそこそこ満喫

 Aさんは雨ガッパのような防護服を着た状態でホーチミン市のタンソンニャット国際空港へ到着、入国後、専用バスでホテルへ到着。部屋でようやく防護服を脱ぐことができた。

 日本では隔離施設からの脱走が相次ぎ社会問題になったが、ベトナムの管理は非常に厳重だった。廊下はもちろん、フロントへ行くことも制限されていた。

 滞在先はWi-Fi完備のホテルなので、室内での通信環境も快適で、日本とのやりとも問題なかった。

 Aさんは、半分冗談で「代わってくれ」と窮状を訴えるLINEを写真付きで送ってきた。しかし、写っているのは、缶ビールが隙間なく詰まっている冷蔵庫。そう、Aさんは大好きなビールを朝からガンガン飲んでいた。

 アルコールが元々用意されているのかと思いきや、まったくない。Aさんはビールをオンライン注文で届けてもらっていたのだ。

 食事が充実している理由で選んだ米系ホテルだったが、外へ行けず、1人で食べる。しかも、朝食は、ほぼ同じメニューだったので数日で飽きてしまい、「マクドナルド」のデリバリーを始める。夜は夜で日本料理店の定食メニューをデリバリーするなど、実はAさんは隔離生活をそこそこ満喫していたようだ。

 最大限満喫できた「3種の神器」

 Aさんが隔離生活を最大限満喫できたのには3つの条件があったからだ。まずはベトナム現地のオンライン決済サービスが利用できるためキャッシュレスでのデリバリー注文ができること。さらにAさんは元ベトナム駐在員でベトナム語がそこそこできるので、電話注文もでき、ホテルへ要望も柔軟に伝えられること。外国人向けのホテルなので英語も通じるので英語ができれば事足りそうだ。最後の3つ目は、助けてくれる強力な現地スタッフがいること。

 特に最後の現地ローカルスタッフの存在は大きかったようで色々と助けてもらったようだ。

 Aさんが選んだホテルは日本人も多く住み、ホテルやレストランなどが集まる1区にある。ここを選んだ理由は、デリバリー対応する店が周辺に多数あることも理由の1つだった。

 ※ベトナムは9月15日から一部緩和され、条件が合えば隔離施設(ホテル)での隔離期間は5日間に短縮されている。

 中国帰国のBさん親子は

 8月末に子どもの学校の問題で中国へ帰国したBさん親子も同様だ。確保していたフライトは11月末。6月以降、キャンセル待ちを繰り返していたが、まったく取れず状態だった。8月末に新しく運行が始まった広州便が運よく確保できたものの2人で片道30万円近くした。これにさらに隔離生活する2週間分のホテル代も必要となる。

 Bさんの小学生の子どもは食事にすぐに飽きてしまいファストフードをデリバリーで注文、ホテルスタッフが部屋の前へ置き、スタッフと接触しないようにして受け取る。こちらもオンライン決算なのでお金のやり取りは発生しない。

 特に日本で生活していた影響か、ホテルのすべての食事が美味しくないと感じたようだ。ほぼ3食、日本食や洋食などをデリバリー注文していたという。

 Bさんは隔離終了後、高速鉄道で深センの自宅へおよそ9か月ぶりに帰宅した。Bさんは新型コロナ前から深センを拠点に生活していたので、中国の「アリペイ」などオンライン決算を利用することができ、広東省には助けてくれる知人も多くいたので困ったことはなかったと話す。

 今、現地オンライン決算、現地の言葉、助けてくれる知人や関係者の3つの条件を持たない状態でベトナムや中国などへ渡航すると本当に監獄のような隔離生活になってしまうだろう。(筑前サンミゲル/5時から作家塾(R)

5時から作家塾(R) 編集ディレクター&ライター集団
1999年1月、著者デビュー志願者を支援することを目的に、書籍プロデューサー、ライター、ISEZE_BOOKへの書評寄稿者などから成るグループとして発足。その後、現在の代表である吉田克己の独立・起業に伴い、2002年4月にNPO法人化。現在は、Webサイトのコーナー企画、コンテンツ提供、原稿執筆など、編集ディレクター&ライター集団として活動中。

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