まさかの法的トラブル処方箋

男女共同参画と単独親権の矛盾 結婚が破綻…そこに潜む法律の“罠” その2

上野晃

 21世紀は女性の時代と言われています。#Me Too運動をはじめ、世界中で女性パワーが盛り上がっています。もちろん、わが国も例外ではありません。「女性活躍推進」「男女共同参画」など、社会で女性の活躍を求める声は、日に日に大きくなっています。しかしながら、一方でこんな声もあります。

 「男女共同参画っていうけれど、他の先進国と比べて一向に女性の社会進出が進まない」

 「ジェンダーギャップ指数 日本は世界で最低レベル」

 女性の社会進出に異を唱える声など、少なくとも公には全くといっていいほど聞かれません。にもかかわらず、日本は世界と比べて女性の社会進出が進まない。原因はどこにあるのでしょう。さまざまな要因が考えられますが、その大きな原因の一つとして、私は単独親権制度、そしてそれに伴う親子の離別があると考えています。

単独親権制度の背景に“子供は家の所有物”との考え方

 現在の民法以前の民法、いわゆる明治民法には、こんな規定があります。

 「子ハ其ノ家ニ在ル父ノ親権ニ服ス」(旧877条1項本文)。かつて、母親に親権はありませんでした。こんな規定もあります。「子ハ父ノ家ニ入ル」(旧733条1項)。つまり、子供は「家」の所有物だったのですね。子供が独立した人格なんて考えは、これっぽっちもなかったわけです。というわけで、「『家」を追われた母が子供と生き別れになるなんて、まあ仕方ないよねー」の世界だったのです。

 戦後、民法が改められて、男女平等の理念の下、母親も親権を得られるようになりました。が、戦前の名残で離婚の際の親権者を父親とする流れは戦後しばらく続きます。その時代、裁判所の決定でこんなものがあります。「我が子に会いたいという相手方の一途な気持も十分理解し得るし同情も禁じ得ないのではあるが…蔭から事件本人の健全な成育を祈っていることが、事件本人を幸せにすることになる…事件本人のことが気にかかるときは人を通じてその様子を聞くなり、密かに事件本人の姿を垣間見て、その見聞した成長ぶりに満足すべき…子のために自己の感情を抑制すべきときはこれを抑制するのが母としての子に対する真の愛というべき」(昭和40年12月8日東京高裁決定)。

 要は、「離婚して親権がなくなったのだから子供と会えなくたって我慢しろや!」ということです。根底には、子供は父親の「家」のモノ、という考えが透けて見えます。その後、男は仕事・女は家庭という考え方と核家族化の進行が合わさって、1970年頃には母親が親権者となるケースが多くなっていきました。「女は家庭」という考え方とセットになって、「子供は母親のモノ」という考えが広く浸透していきます。同時に、母親による子連れ別居があれば自動的に「母親親権」となるという方程式が作られていきました。

 今、離婚後に子供と会えず悩んでいる多数は父親です。日本の裁判所は、昭和40年12月の東京高裁決定から基本的スタンスを変えていません。ただ、男女が逆転しただけ。父親と子供が生き別れになっても、「まあ仕方ないよねー」と。つまり、日本の裁判所では、いまだに子供は家の所有物という考え方が残っているのです。「父親の家」から「母親の家」に移っただけで…。

共同親権を採用する海外

 日本以外の先進諸国では、離婚後単独親権制度を採用している国はほとんどありません。法務省が外務省を通じて行った、離婚後の親権制度や子の養育の在り方をめぐる24カ国調査結果で、共同親権を採用しているのは24カ国中22カ国であることが分かりました。ちなみに、単独親権制度を採用している2カ国はインドとトルコです。このように多くの先進国では共同親権制度を採用しているのですが、共同親権制度に進む大きなきっかけとなったのが、実は女性側の運動にあったと知ったら、皆さんは驚くでしょうか?

 1970年代当時、全米女性団体の会長だったカレン・デクローが、こんな有名な言葉を残しています。

 「もし離婚をするようなことがあるならば、共同親権とすることを強く勧めます。共同養育は男性や子供にとって公正なだけでなく、女性にとっても最善の選択です。女性の権利や責任に対するフェミニスト活動を、四半世紀以上も見つめてきた結果、私は、共同養育は女性にとって素晴らしいと結論づけます。それは教育・訓練・仕事・キャリア・専門・レジャーを求める女性親に時間と機会を与えるものです。男性を除外し、女性と子供だけが永遠の愛の絆の衣服で包まれているかのようなことを示す、科学的・論理的・合理的な根拠は一つとして存在しません。私たちのほとんどは、女性には男性ができることは全てできると認識しています。今、私たちも男性には女性ができることは全てできると認める時です」

 このデクローの言葉が、その後の米国での共同親権への移行に強い影響を与えたのです。

男女共同参画を唱えつつ単独親権に固執する矛盾

 男女共同参画-。少子化の下、慢性的に労働力が不足していく日本で、実現すべき必須の課題です。女性政治家やフェミニストの弁護士さんたちは、社会における男女共同参画の実現を強く求めています。しかし不思議なことに、共同親権の議論になると、こうした男女共同参画推進論者の方々から、慎重論が上がります。けれど、よく考えてみてください。21世紀の今、3組に1組が離婚するんですよ。世の中はシングルマザーであふれています。そして、そのシングルマザーの人たちが子育てに追われて仕事ができず、貧困が問題となっています。

 一方で国の財政は逼迫(ひっぱく)しています。だとしたら、解決法は?共同親権しかないじゃないですか。社会における男女共同参画を実現するためには、家庭における男女共同参画の実現が不可欠です。そして、それは離婚家庭も例外ではないのです。社会で男女共同参画を唱えながら、離婚後単独親権に固執する矛盾。そのことに、多くの人たちが早く気付かないと。いや、若い世代の人たちはすでに気づき始めています。

 なのに一向に制度や運用が改まらない。そうしている間にも日本はじりじりと衰退しています。急がなければなりません。

 次回、家庭裁判所が下した滑稽とも言える判断をいくつかご紹介するとともに、そうした判断が下される背景事情をより深く探ってみたいと思います。

神奈川県出身。早稲田大学卒。2007年に弁護士登録。弁護士法人日本橋さくら法律事務所代表弁護士。夫婦の別れを親子の別れとさせてはならないとの思いから離別親子の交流促進に取り組む。賃貸不動産オーナー対象のセミナー講師を務めるほか、共著に「離婚と面会交流」(金剛出版)、「弁護士からの提言債権法改正を考える」(第一法規)、監修として「いちばんわかりやすい相続・贈与の本」(成美堂出版)。那須塩原市子どもの権利委員会委員。

【まさかの法的トラブル処方箋】は急な遺産相続や不動産トラブル、片方の親がもう片方の親から子を引き離す子供の「連れ去り別居」など、誰の身にも起こり得る身近な問題を解決するにはどうしたらよいのか。法律のプロである弁護士が分かりやすく解説するコラムです。アーカイブはこちら