まさかの法的トラブル処方箋

夫婦間の争い過熱させる家裁の無責任さ 結婚が破綻…そこに潜む法律の“罠”3

上野晃

妻が浮気の末に娘を連れて行方不明に…

 「仕事と私、どっちが大事?」

 この台詞から、貴方(あなた)はどのような光景を思い浮かべるでしょう?恐らく女性が男性に尋ねている光景が浮かんでいるのではないでしょうか。私たちは皆、固定観念というものを知らず知らずのうちに抱いています。

 「奥さんが子供を連れて家を出た」

 これを聞いて、皆さんがイメージするのは? もしかすると、最近は変わってきつつあるのかもしれませんが、昭和のイメージはこんな感じでしょう。

 「夫が何か悪いことをしたんじゃないの?」

 男性が優位だった昭和の家庭では、女性が我慢に我慢を重ねた末に別居の決断を下すということが多かったようです。特に、昭和の時代は離婚に対して世の中が寛容ではありませんでしたから、別居・離婚の決断は並々ならぬものがあったことでしょう。そんな社会の雰囲気の中で作られてきたこのイメージ。今は、必ずしも事実と符合するものではなくなってきています。もちろん、夫が悪いでしょ、と思われるケースもあります。DV(ドメスティックバイオレンス)や浮気なんかはその典型です。

 しかし今日、例えば妻の側が浮気するケースも増えています。正直、夫側が浮気するケースと数的にはそれほど違いはないのではないかと思っています。さらに言葉の暴力や物を投げつけるといった物理的暴力によって、夫を痛めつけるということも珍しくありません。また、「冷めた」というだけの理由で夫の前から突然姿を消してしまうことも。そう、令和となった今日、別居・離婚に至った理由も多種多様なのです。

 夫が会社員で妻は専業主婦、その妻がSNSで複数の男性と浮気を重ねていました。4歳の娘さんはお父さんのことが大好きです。お母さんのことは、もちろん好きなのですが、少しばかり距離感がある関係でした。

こんな家庭を想像してみてください。この妻がある日、娘さんを連れて家を出てしまいました。理由は、その1週間前にSNSでの浮気について、夫から咎(とが)められたからです。会社から帰ってきた夫は、がらんどうになった部屋の前で呆然と立ち尽くしてしまいました。

 警察に行っても、全く相手にされません。行方不明のまま、夫は家庭裁判所に申し立てをしました。相手方は妻。申し立ての内容は、子供を返してほしいというものです。申立書が妻の実家に郵送されると、1回目の調停で妻は出廷してきました。弁護士を連れて。

 するとなんと、妻は夫にDVを受けていたと言い始めました。夫は否定し、証拠として日常の様子の分かる写真や動画、妻とのLINE(ライン)の履歴を提出しました。加えて、事前にスクリーンショットで保存しておいた妻と浮気相手との膨大な量のいやらしいLINEのやり取りも提出しました。

 結果、妻側の弁護士は辞任し、妻は2回目の調停から出廷しなくなりました。

 「妻は試合放棄しました。いつまでも裁判を空転させないでください。早く子供を返すようにという審判を下してください」

 そう希望する夫に対して、裁判官は「うーん、困ったなあ。そんなこと言ったって、奥さんが出廷しないと判断できませんよ」と言うばかり。「ということは、子供を連れ去った妻は、このまま裁判所に出てこなければ事実上勝てるってことですか? だったら裁判所の存在意義なんてまるでないじゃないですか」と詰め寄ると、裁判官は、ただひたすら「困ったなあ」と繰り返すのみでした。結局このケース、妻も夫も監護権者と指定しないという、あまりにも無責任な判断で終わりました。夫のもとに娘さんは帰ってきません。うやむやのまま、現在もどこにいるかも分からない妻の居所で生活をしているのです。

 こういった少なくとも令和的な感覚でみると、極めて滑稽とも言える判断や発言は、日本の家裁では珍しいものではありません。つい先日もある女性裁判官が「面会交流って、1カ月に1回が普通ですから」といった発言をしていましたが、普通って何?って問い返したくなりました。

「毎月100万円くれたら5分だけ会ってあげても」

 日本の家裁では、いまださまざまな昭和的固定観念が存在しています。子供は母親が育てるものとか、夫婦が別れたら父子も別れることになるとか。面会交流があくまで「施し」程度、親戚の叔父さんと会う程度しか認めてもらえないのも、「父子なんて、それくらいの関係でいいんじゃないの?」という固定観念が根底にあるがゆえだと思います。

 ある裁判官がこんなことを言っていたのが思い出されます。

 「私だってねー、単身赴任で何年も子供の顔見れなかったんだから」

 いやそれって全然違う話じゃ…って言っても無駄なんですよね。長い年月を経てがっちりと固定観念に凝り固まっている人に対して別のイメージを伝えるのって、不可能に近いです。

 日本の家裁は、まるで出発した電車を見送る駅員さんのごとく、ほとんど指差し確認程度のことしかしてくれません。子連れ別居となった以上、子供は連れていかれた場所で育っていくことを余儀なくされるし、裁判所もそれを前提として判断をしていきます。「子供を連れ去った者勝ち」と批判される所以(ゆえん)です。面会交流も、同居親側の心情に配慮するあまり、何年も判断が出ないまま父子が断絶されてしまっているケースが後を絶ちません。その間に、子供たちの心が壊されていってしまうというケースを私は幾度となく見てきました。

 「毎月100万円くれたら5分だけ会ってあげてもいい」

 この台詞(せりふ)、誰が言ったと思いますか? なんと7歳の女の子です。この件は、数年前に新聞でも取り上げられて、その後国会でも質問されましたが、家裁の無責任さの皺寄せで、子供が被害を受けているケースとして、皆さんに知っていただきたい典型事例です。

 多様性がますます進んでいく令和の時代、夫婦の離別の態様も多様化の一途をたどっています。

 裁判所は昭和的固定観念から抜け出すべきです。昭和の時代、「無責任男」というのが流行(はや)りましたが、令和の現代、最も無責任な存在となっているのが家裁ではないでしょうか。

 芸術家の岡本太郎さんが、「退職時に『大過なく仕事を終えることができて』なんて言うような仕事の仕方だけは決してしないでほしい。『たくさん失敗もしたけど、こんな素晴らしい仕事もした』と言えるような仕事をしてほしい」と言っておられましたが、家裁の皆さん、どうかこの言葉、胸にとどめてください。

 次回、最近話題になっている養育費の問題について、令和的観点から私なりに考える、あるべき方向についてお話ししたいと思います。

神奈川県出身。早稲田大学卒。2007年に弁護士登録。弁護士法人日本橋さくら法律事務所代表弁護士。夫婦の別れを親子の別れとさせてはならないとの思いから離別親子の交流促進に取り組む。賃貸不動産オーナー対象のセミナー講師を務めるほか、共著に「離婚と面会交流」(金剛出版)、「弁護士からの提言債権法改正を考える」(第一法規)、監修として「いちばんわかりやすい相続・贈与の本」(成美堂出版)。那須塩原市子どもの権利委員会委員。

【まさかの法的トラブル処方箋】は急な遺産相続や不動産トラブル、片方の親がもう片方の親から子を引き離す子供の「連れ去り別居」など、誰の身にも起こり得る身近な問題を解決するにはどうしたらよいのか。法律のプロである弁護士が分かりやすく解説するコラムです。アーカイブはこちら