ちば人物記

「出店者と客層広げ、にぎわいを」 かつうら朝市の会会長の江沢修さん

 千葉県勝浦市の朝市で、週末にその屋台は姿を現す。江沢修さん(71)は慣れた手つきでプレートに油を引き、生地を流し込む。その上に乗せるのは、餡子ではなくひき肉や野菜をラー油で味付けしたものだ。名付けて「タンタンたい焼き」。海から上がった海女が体を温めるために食べたというラーメンが地元で「勝浦タンタンメン」として親しまれていることを踏まえたもので、江沢さんの“勝浦愛”が伝わってくる名物だ。東京から3回も食べに来た女性もいたといい、「あれはうれしかったな」と顔をほころばせる。

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 安土桃山時代の天正19(1591)年に始まり、今年、ちょうど430年を迎える勝浦の朝市。石川県の輪島、岐阜県の宮川と並ぶ「日本3大朝市」の一つだ。かつては住民が、日常生活に必要な食材などを買っていたが、そうしたニーズは徐々に低下し、ピーク時に200店あったという出店者は減少傾向だった。60店ほどに減っていた時、江沢さんは市内の関係者から「朝市を何とかしてほしい」と頼まれた。

 朝市はそれまで、出店者の代表や地元の自治会長らが運営してきたが、勝浦市や市商工会、市観光協会なども加わり、新たな組織で運営することで活性化を目指すことになった。江沢さんはその会長に就くことを要請されたのだった。

 「幅広い出店者を受け入れるようにしたい」。江沢さんが会長就任に当たり、こうした条件を出したのは、「伝統ある朝市が、終わってしまうかもしれない」という危機感があったからだ。

 平成30年に設立された新組織「かつうら朝市の会」の会長に就いた江沢さんが目を付けたのは「マルシェ」だった。31年1月から、手作りの雑貨やアクセサリーの販売、キッチンカーなどが出店する勝浦マルシェを始めた。伝統的な朝市と、若い人が多く敷居が低いマルシェとの融合。朝市の出店に関心のある人が気軽に参加できる機会にもなり、実際に7、8店のマルシェ出店者が朝市へ加入したという。

 また、出店者数減の背景には高齢化だけでなく、新陳代謝が起りにくい慣行もあった。出店者保護の観点から、既存の出店者と同じ業種は新規出店ができなかったり、人通りの多い場所での出店者がしばらく休んでいても、他の出店者がその場所を使えなかったりしたのだ。出店者を大事にするという理念は正しくても、それが一種の“既得権”となっていた。あさいちの会は今月、「更新制」を導入するなど、好立地を有効活用するとともに、出店者に競争意識を持ってもらう仕組みを整えた。

 若い人が出店すれば、若いお客も増えるし、新しい業種が加われば、それを目当てに新しいお客が来る。朝市の出店者数は増加傾向に転じた。「固定化していた客層が、変わってきた」。江沢さんは手ごたえを感じた。

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 しかし、あさいちの会の活動が奏功してきたところで昨春、新型コロナウイルスの感染が拡大した。

 朝市は屋外で行われる強みもあり、当初は人出に大きな影響は出ていなかったという。だが、コロナ以前は多かった大学生やスポーツ選手の合宿などが激減。勝浦市を訪れる人は少なくなり、宿泊者の買い出し需要もなくなった。毎月第2日曜の開催となり、1月10日に予定されていたマルシェについても、江沢さんは決行を主張したが、話し合いの末、中止になった。緊急事態宣言の期間中は行われない予定だ。

 「コロナが収束すればインバウンドも戻る。朝市を柱に、勝浦を元気にしていきたい」。“攻め”に転じる将来を見据えながら、地道に街の活性化に取り組む考えだ。(高橋寛次)

 えざわ・おさむ 昭和24年10月、千葉県勝浦市生まれ。勝浦高校卒業後、旧国鉄で蒸気機関車の機関助士などを、国鉄分割・民営化後のJR東日本、いすみ鉄道で運転士を務めた。現在は同市内で「民宿神田」を経営しているほか、かつうら朝市の会会長、同市民宿組合組合長、同市観光協会副会長、勝浦市まち歩き観光ガイド会長を務める。地元での愛称は、父の名前を由来とした「とらさん」。