普段は1車両あたり3扉の電車なのに、混雑時は座席が天井近くに格納されて5扉に増えるという不思議な通勤型車両が6月に引退する。大阪と京都を結ぶ京阪電気鉄道の5000系で、登場は大阪万博が開催された1970年。日本初の新機軸が織りこまれた車両はなぜ生まれたのか。半世紀前の京阪電鉄の資料などから振り返った。
通勤ラッシュ解消への新発想
「僕も5000系を運転していましたが、やはり寂しい思いがあります。時代を象徴した車両として、親しまれていますから」。惜別の思いを口にしたのは、元運転士で京阪電鉄広報部係長の中西一浩(かずひさ)さん。鉄道ファンにも人気のあった車両といい、11日に行われたイベント「5000系さようなら淀車庫撮影会」(参加費6000円)にも申し込みが殺到。参加チケットは即日完売した。
「狂乱の高度成長時代、京阪沿線の宅地化は急ピッチで進められ、朝夕のラッシュ・アワーの通勤・通学客による混乱は、その極に達した」
京阪が1980年に刊行した書籍「ミニ・ヒストリー 京阪電車・車両70年」によると、沿線人口が増えて電車に乗るにも時間がかかるようになったため、編成を長くしようとしたが、架線電圧やホームの長さの制約から7両より長くすることはどうしてもできなかった。そこで「多扉化によって乗降時間を短縮」するという発想が生まれたという。花形の特急型車両ではないが、開発陣が心血を注いだ意欲作だけに、京阪内部では「『三つ五郎』という粋なペットネーム」(同書)で呼ばれていたようだ。
座席の昇降で3扉⇔5扉
1車両に片側5扉以上備えた「多扉車」はその後、関東の鉄道各線にも“伝播”し、JR山手線や京浜東北線、埼京線などのほか私鉄の京王電鉄や東急電鉄、東京メトロ日比谷線などで導入された。いずれもラッシュ時間帯に座席を折りたたんで格納する方式だった。
これに対し、嚆矢(こうし)となる京阪5000系では「座席昇降装置」によって座席を上げ下げする方式が採用された。日中は3扉で使用し、残りの2扉を閉鎖して座席を設置。ラッシュ時は扉の前に設置された座席を天井近くまで上げ、扉から乗り降りできるように工夫したのだ。
京阪電鉄の社内報1970年10月号には、画期的な座席昇降装置について「この車両の技術開発の中心である」と記されている。座席の昇降にかかる時間は約20秒。誤操作を防ぐため、1両目と7両目の両運転台のスイッチを操作しなければ動作しないようになっていた。作業は車両基地などで行われていたが、万全の安全対策が施されていたことがうかがえる。
ただ、この特殊な装置のおかげで日中の座席定員は増えたものの、と同時に、製造コストも増えてしまったようだ。5000系の製造は7編成分の50両(うち1両は代替車)にとどまった。
扉の多さがアダに?
「ラッシュ輸送に5扉車活躍―乗降時分の短縮―」。京阪電鉄の社内報1971年3月号には、こんな見出しとともに「アイデアいっぱいの新鋭車」「京橋駅でも乗り降りがとてもスムーズ」と5000系導入の効果を伝えている。ラッシュ時の混雑緩和に貢献した多扉車だが、京阪よりだいぶ遅れて導入された関東では、実は比較的短命に終わった。ホームドアを導入する際、扉の数が多い車両への対応が難しかったためだ。
一方で、半世紀以上も活躍を続けてきた京阪だが、事情は関東と同じだった。「多扉がホームドア設置の障害になった」(同社)ことから5000系の引退が決まった。京阪の最古参は1964年に登場した2200系で、1970年にデビューした5000系は、いわば6年“先輩”に当たる車両よりも先に退く形となった。
座席を上げた状態の5扉での運用は今年1月29日に終了。現在は3扉の状態で最後の力走を見せている。11日に大盛況だった引退記念イベントは、今月24日や5月16日、29日にも予定されているという。
座席を上下させることで扉の数を変えるというユニークな発想で登場した京阪5000系。中西さんは「他に類を見ない、京阪の一翼を担った良い車両でした」と評した。