ジェフ・ベゾスにとって観光宇宙船「ニュー・シェパート」の成功は、単なる通過点にすぎない…。
現在、米国の軍事衛星が、ロシア製のエンジンによって打ち上げられているのをご存じだろうか? 米国の基幹ロケット「アトラスV」が、ロシア製のエンジン「RD-180」を搭載したことによって、米国内ではさまざまな問題が発生してきた。その解決の鍵を握るのがジェフ・ベゾスである。
今回は宇宙開発における皮肉な米ロ関係と、米国内におけるロケット開発事情をご紹介したい。当然ながらこのストーリーには、イーロン・マスクも大きく関わっている。
「デルタIV」と「アトラスV」
米国のロケット開発における「不健全」な状態は、1994年に米空軍が立ち上げた「EELV計画」にはじまる。
この計画は、米国が自国の軍事衛星を打ち上げるためのロケットを新規開発するためのものであり、ボーイング社とロッキード・マーチン社が入札によってその権利を勝ち取った。
ボーイング社は「デルタIV」を開発し、これにロケットダイン社が新規開発した「RS-68」エンジンを搭載した。ロケットダイン社とは、アポロ宇宙船を打ち上げた史上最大のロケット「サターンV」のエンジン(F-1、J-2)や、スペースシャトルのメインエンジン「RS-25」を生み出してきた米国の老舗国策エンジンメーカーだ。
一方、ロッキード・マーチン社は「アトラスV」を完成させ、そのエンジンとしてロシア製の「RD-180」を選択した。当時、米ロは宇宙開発において友好的な関係にあり、それ以前から米空軍も、ロシア製エンジンを自国ロケットへ搭載することを検討していたため、この案はスムーズに受け入れられた。
こうしてロッキード・マーチン社は、世界最高レベルの性能と信頼性を誇るエンジンを安く購入することになり、新型エンジン開発にかかる時間とコストを大幅に抑えることに成功した。このときロシアはソ連崩壊直後の財政難にあり、それも低価格でエンジンが販売された理由のひとつだった。
両機は2002年に初打ち上げが行われ、ともに運用が開始された。2006年には、ボーイング社とロッキード・マーチン社による合弁事業として「ULA」(ユナイテッド・ローンチ・アライアンス)社も立ち上げられた。アトラスVとデルタIVは、この企業が運用する米国の基幹ロケットと位置付けられ、主に政府向けの衛星打ち上げサービスが開始されたのだ。
実際に運用がはじまると、アトラスVが多用され、その打ち上げ回数はデルタIVの倍近くにおよんだ。打ち上げコストが安かったのだ。
アトラスVが低コストである理由は、その仕様にもある。
デルタIVが搭載するエンジンRS-68は、酸化剤として液体酸素、燃料として液体水素を使用する。このタイプのエンジンは、燃費(比推力)はいいが、燃料と酸化剤をともに極低温に保つ必要があり、打ち上げに手間がかかる。
一方、アトラスVが搭載するロシア製RD-180は、酸化剤は同じく液体酸素だが、燃料にはケロシンの一種であるRP-1を使用する。このタイプのエンジンは、燃費では液体水素に劣るが、燃料自体が扱いやすく、燃料の密度が高いため機体がコンパクトにでき、打ち上げの手間が軽度というメリットがある。こうした点も、アトラスVの優位性を高める要因となった。
ウクライナ問題の発生と、RD-180の使用停止
しかし、2014年にウクライナ紛争が発生すると、米ロ両国と、米国内の宇宙開発メーカーの状況が一変する。
当時のオバマ大統領によってロシアに対する経済制裁が発令されると米ロ関係が急速に悪化し、その結果、ロシアが米国におけるRD-180の使用禁止を示唆。これに対して米議会は、自国の軍事衛星の打ち上げにRD-180を使用することと、同エンジンの新規輸入の禁止を決定した。つまり米国は、軍事衛星を打ち上げるための基幹ロケットの一方を失い、ULA社は同ロケットによる受注が受けられないという事態に陥ったのだ。
その後、規制は解除されたものの、またいつ同様の事態が起こるかわからない。そのためULA社は、新しい国産エンジンの開発を急ぐ必要に迫られた。同時に米議会では、米空軍に対して新型エンジンの開発を義務づける法律まで制定されている。
ULA社は、ロケット自体の開発と運用を担うが、エンジンを開発するための専門部署を社内に持たない。そのため新規エンジンの開発は、外部企業に委託することになる。
こうして行われた入札によって、ジェフ・ベゾス率いるブルー・オリジン社と米国のロケット開発メーカーの老舗「エアロジェット・ロケットダイン」社が、純米国産ロケットエンジンの開発に取り掛かることになった。エアロジェット・ロケットダイン社とは、先述したデルタIVが搭載するRS-68を開発したロケットダイン社と、軍事宇宙開発企業として名高いエアロジェット社が合併(2013年)してできた企業である。
イーロン・マスク、米空軍を訴える
ウクライナ紛争が発生したころ、もうひとつ重大な事件が発生している。その国際紛争を機に、スペースX社がはじめて米国の軍事衛星の打ち上げを受注したのだ。
イーロン・マスク率いるスペースX社(2002年設立)が、ボーイング社とロッキード・マーチン社がULA社の共同設立を2005年に公表した際、これを「軍事衛星の打ち上げサービスの独占による反トラスト法違反」として提訴した。スペースX社の主力ロケット「ファルコン9」がはじめて打ち上げられる遥か5年前のことである。イーロン・マスクはこのときすでに軍事参入する構想を持っていたのだ。しかし、このとき米国防総省はULA社設立を問題ないとし、翌2006年から同社への発注を開始している。
2010年には、スペースX社がファルコン9の初号機の打ち上げに成功する。このときのファルコン9はまだ自律帰還するシステムは搭載しておらず、従来のロケットと同様、使い捨て仕様だった。
そして2014年2月、ウクライナ紛争が発生すると、スペースX社は再度、米空軍を提訴。「軍事衛星打ち上げの長期契約をULA社と結んでいることで市場競争が妨げられている」と訴え、スペースX社の同事業への参入を求めたのだ。
こうした状況のなか、2015年11月に珍事が起こった。米空軍が入札募集したGPS衛星打ち上げに応札したのがスペースX社による1件となったのだ。同時期に、米議会によってロシア製エンジンRD-180の使用停止が言い渡されたULA社には「使用できるエンジンがなかった」。ULA社にはデルタIVもあるが、超低コストのファルコン9には入札で敵うわけもなかった。自律帰還して垂直着陸する再利用型のファルコン9の初打ち上げ、初着陸が成功したのは、その翌月のことだった。
こうした経緯を経て、翌2016年にスペースX社は、それまでULA社の独占状態にあった米軍事衛星の打ち上げ市場への参入を果たしたのである。
ブルー・オリジン「BE-4」 vs ロケットダイン「AR1」
スペースXの躍進の一方で、米国内ではロシア製RD-180の代替エンジンの開発も続けられていた。
エアロジェット・ロケットダイン社が開発するのは「AR1」。こちらは酸化剤に液体酸素、燃料にケロシンを使用する。アトラスVが搭載するRD-180は、ケロシンの一種であるRP-1を使用していが、AR1はそれと同種の推進剤の使用を想定したわけだ。そのため、アトラスVの基本設計を大幅に変更することなく、エンジンを換装するだけで済む可能性も秘めていた。
一方、ブルー・オリジン社が現在開発中のエンジンは「BE-4」。このエンジンの酸化剤は一般的な液体酸素だが、燃料にはメタンが採用された。メタンは安く、燃費が良く、タンクを小型化でき、ロケットの構造をシンプルにできる。また、3Dプリンターを活用することで、複雑なエンジン内部構造の製造を容易にし、同時に製造コストを抑えられた。
この開発レースは2014年にはじまったものの、翌年、超低コストロケットを武器にスペースX社が軍事産業に参入してきたため、ULA社においても新型エンジンだけでなく、大幅に打ち上げコストを低減した新型ロケットの開発が必須となった。その結果、アトラスVの後継ロケットとして「ヴァルカン」の新規開発が計画され、これに純国産の新型エンジンを搭載することが決定された。
ヴァルカンは、スペースX社のファルコン9などのように、第1段自体が自律帰還して再利用できるわけではないが、第1段の2基のエンジンだけをパラシュートで降下させ、それをヘリで空中回収することで、コスト低減が図られた。
そして2018年9月、ULA社はヴァルカンに搭載するエンジンとして、ブルー・オリジン社のBE-4の採用を決定した。老舗の手堅いケロシン燃料エンジンを破り、ベゾス率いるベンチャー企業のメタン燃料エンジンが勝利したのだ。
「ニュー・シェパード」とBE-4は「ニュー・グレン」へのステップ
自ら搭乗した今回の宇宙旅行の直前、ジェフ・ベゾスはアマゾン社のCEOを辞すことを公表した。しかし、氏はまだ57歳。ブルー・オリジン社のCEOもボブ・スミスに委ねているが、相変わらず両社の所有者である。
そして、ブルー・オリジン社は現在も、米国の軍事衛星を純国産エンジンで飛ばすという使命を受け、BE-4エンジンの開発を進めている。このエンジンを2基搭載した新型ロケット・ヴァルカンは、2022年の初打ち上げが予定されている。
また、ベゾスはこのBE-4をULA社に納品すると同時に、自社が開発を進める超大型ロケット「ニュー・グレン」にも搭載する予定だ。同エンジンを7基搭載した超大型ロケットニュー・グレンは、2段式、または3段式が選択でき、3段式であればその全高は95mとなる。
スペースX社が開発中の超大型ロケット「スターシップ」は全高120m。アポロ計画で使用された「サターンV」は110.6m。今年11月に打ち上げ予定の「SLSブロック1」は98m。ベゾスのニュー・グレンが完成すれば、これらに継いて史上4番目に巨大なロケットとなる。ファルコン9と同様、切り離された第1段は自律帰還して垂直に着陸する、再利用型のロケットである。
ニュー・グレンの第1段にはBE-4が搭載されるが、第2段には「BE-3」エンジンが搭載される予定だ。このエンジンは、ベゾス氏が搭乗した観光宇宙船「ニュー・シェパード」が搭載するエンジンである。つまり、ニュー・シェパードは、このニュー・グレンのための予行機といえるだろう。
ニュー・グレンは当初2021年の初打ち上げが予定されていたが、そのスケジュールは今年2月、2022年の第四半期にスライドすることが発表されている。米フロリダ州のケープ・カナベラル宇宙軍基地の打ち上げパッドLC-36は、このロケットの打ち上げのために、すでにブルー・オリジン社へ長期レンタルされている。
【宇宙開発のボラティリティ】は宇宙プロジェクトのニュース、次期スケジュール、歴史のほか、宇宙の基礎知識を解説するコラムです。50年代にはじまる米ソ宇宙開発競争から近年の成果まで、激動の宇宙プロジェクトのポイントをご紹介します。アーカイブはこちら