前回東京大会でリモート観戦“先駆け”も 作家たちの五輪作品
新型コロナウイルス禍を受けた緊急事態宣言下で、23日に開幕した東京五輪。前回昭和39年の東京大会では、三島由紀夫や獅子文六といった文豪がこぞって観戦記やエッセーを手がけた。五輪に材を取った小説も、浅田次郎さんや小川洋子さんら第一線の作家によって今も紡がれている。コンパクトな文庫で触れられる五輪物のアンソロジー(作品集)を読むと、文章による描写の高い再現力、さらには五輪という一大イベントの多面性がよく分かる。
那須に籠もってテレビ観戦
〈これだけ多数の群衆を見ると、オリンピックを冷眼視した日本インテリも、理屈も何もなくなってくるだろう。まあ何でもいい。始めたからには、成功させなければならない〉
これは、前回東京大会を活写した文学者のルポルタージュ集『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』(講談社編、講談社文芸文庫)に収められた、獅子文六による開会式観戦記の一節だ。まだ時期尚早、たかがスポーツ、急ピッチで進んだ開発の余波…。現在、コロナ禍での五輪開催への反対論もくすぶるが、前回大会前にも強い批判が渦巻いていたことが改めてうかがえる。そんな五輪に向ける個々人の熱量、スタンスの違いもまた面白い。
数々の名翻訳で知られる英文学者、中野好夫にいたっては、狂騒から逃れるために東京を離れ、那須にこもってテレビ観戦を決め込んでいる。〈すべてスポーツは大好きだが、その周辺はきらいなことばかりである。(略)どこか遠い外国ででも行われているような錯覚まで起って、なんといってもこれは楽しい〉
「オリンピック逃避行」なる異色の随想は、多くが無観客で行われる今回の五輪を先取りする“リモート観戦記”といっていい。
「黒い小山がムラムラと」
競技の模様を伝える文章では、文学者らしい観察眼と描写力が目を引く。例えば、「第三の新人」の代表格である安岡章太郎が陸上の男子100メートル決勝について書いた「不動の美しさ」。双眼鏡越しに見たレースの光景を〈(優勝した米国選手)ヘイズのダッシュはむしろ意外にユックリと、まるで黒い小山がムラムラと動き出すような感じであった。しかし一瞬後には、彼のからだはビックリするほど大きくなり、風をはらむようにして、目の前に迫ってきた〉と活写し、ゴール後の拍手と喚声の嵐を書き添えている。映像が鮮やかに目に浮かぶような文章が連なる。
この本の中では三島由紀夫の活躍ぶりが際立つ。なにしろ、ボクシングや重量挙げ、競泳、体操、女子バレーなど幅広い競技の観戦記を手がけ、開会式と閉会式の模様も寄稿している。スポーツ選手の肉体美をとらえる文章は典雅で、卓抜な比喩に満ちている。男子100メートル決勝を10秒フラットの記録で駆け抜けたヘイズの力走を描いた文章「空間の壁抜け男」はとくに読み応えがある。三島の観戦記は『三島由紀夫スポーツ論集』(佐藤秀明編、岩波文庫)にも収められている。
現代に通ずる人種、国籍の問題
スポーツ自体がはらむ熱と臨場感を刻んだ観戦記とは違い、時を置いてから生み出される小説では、五輪を一つの背景にして時代の空気や人間ドラマに焦点を当てたものが目立つ。
『激動 東京五輪 1964』(講談社文庫)は前回東京大会を題材に、現在のミステリー界を牽引する7人が競作したアンソロジー。五輪前、脅迫や爆破などを連続して起こした「草加次郎事件」を追う新聞記者を描いた堂場瞬一さんの「号外」をはじめ、半世紀前の社会状況を伝えるエンターテインメント作品がそろう。
浅田次郎さんら7人の短編を集めた『作家たちのオリンピック 五輪小説傑作選』(細谷正充編、PHP文庫)からも五輪という世界規模のイベントが持つ多面性が伝わってくる。収録作の一つ、浅田さんの「ひなまつり」は昭和39年の東京を舞台に、五輪の恩恵を受けられない母娘の日常に光を当てた切ない物語。野球小説を数多く残した赤瀬川隼さんの「ブラック・ジャパン」は、五輪で日本国籍の黒人選手がメダルを獲得したという設定で、現代にも通ずる国家と人種、国籍をめぐる問題をつづっている。
非日常性の象徴
海外でも評価の高い小川洋子さんの「肉詰めピーマンとマットレス」は異彩を放つ。審判の不手際に抗議して全員がスキンヘッドにした1992年バルセロナ五輪・男子バレー米国代表に想を得た一編。海外に暮らす息子のもとを久しぶりに訪ねた主人公の母親が観光したり、息子の好物の肉詰めピーマンを作ったりしてつかの間の幸福な時を過ごす。そして息子と別れた帰途の空港では、見上げるほど大柄なバレーボールの五輪選手団が現れ、まるで悲しみに沈む母親を守るように同じ手荷物検査の列に並ぶ。非日常の出会いが母親の心に小さな救いをもたらす、そんな一瞬が美しい。
「五輪はその時代の国民の共通体験であり、非日常性の象徴ともいえる。どんな題材でも受けいれる器の大きさがある」と指摘するのは同書の編者を務めた文芸評論家、細谷正充さん。「五輪を一つの触媒として何をどう表現するかにそれぞれの作家性が如実に表れる。コロナ禍での五輪を経て、この先どんな物語が紡がれるのか。読者には楽しみだし、作家にとっても書きがいがあるテーマではないでしょうか」(海老沢類)