ISS(国際宇宙ステーション)にドッキングしたロシアの新モジュール「ナウカ」が、不意にスラスターを噴射しはじめたことにより、ISSの姿勢が大きく乱れたことは、前回の当コラムでもお伝えした。
当初、この事故によってISSの姿勢が45度傾いたと公表されていたが、しかしその4日後、実際にはなんと540度、つまり1回転半もしていたことが判明した。
45度の回転でさえ、長期化すれば電力不足を招くほか、クルーの脱出さえ危ぶまれる事態に陥る。なぜISSは540度も回転することになったのか? そしてそれがいかに危険な事態であったのか。この重大インシデントの詳細がより明らかになってきたのでご紹介したい。
突然のスラスター噴射 ジャイロも効かず
「ナウカ」とは、ロシア初のISS用多目的実験棟であり、カザフスタンにあるバイコヌール宇宙基地から7月21日、プロトンMロケットによって打ち上げられた。全長13m、質量20トン、筒型をしたモジュールである。
打ち上げ後、軌道に乗ってISSへアプローチしている際にも異変はあった。ISSで待機するロシアのクルーが、ナウカが正しい軌道から逸脱していることに気づいたのだ。しかしこのコース逸脱はすぐに修正され、7月29日13時29分(協定世界時)、ISSへのドッキングは無事完了した。
ナウカのドッキングから約3時間後の16時34分、ISSのシステムが船体の異常な姿勢を検知した。ドッキングしたばかりのナウカのスラスターが、突如噴射しはじめたのだ。
ナウカはISSの後方、地球サイドにドッキングしていた。そのスラスターは、ISSから離れようとする方向、つまり地球に向かう方向に異常噴射を続け、その結果、ISSは船首を上げながら回転をはじめた。いわゆる「バク転」である。スラスターの異常噴射は制御不能な状況であり、それはロシアの地上管制も止めることができなかった。
ISSには姿勢を制御するための大型ジャイロ(CMG:コントロール・モーメント・ジャイロ)が4基搭載されている。この異常事態に臨んで、まずはそれら装置が起動した。ジャイロの慣性力が巨大なISSの回転を止めようとしたが、スラスターの推力はその力を凌いだ。
その8分後、姿勢の逸脱レベルが許容範囲を超え、ISS史上はじめて「姿勢喪失緊急事態」が発令された。これにより、姿勢制御を修正しようとしていたジャイロが停止された。なぜなら、ISSの後部に接続するナウカと、前方寄り(Z1トラス)にあるジャイロが違う方向に引き合えば、モジュールをつなぐ接続部に歪みが生じる恐れがあるからだ。
つまりISSはこのとき一時的に、原因不明の噴出を続けるナウカのスラスターにただ従い、フリードリフト状態となったのだ。
同時に、静止軌道上にあるデータ中継衛星のネットワークは、NASAとISSの通信が最優先された。ISSの船体が回転してしまうと通信アンテナが正しい方向へ向けられず、地上との交信が途切れる可能性があるからだ。
こうした措置がとられたにも関わらず、実際、この緊急事態の対処中に、ISSと地上管制との通信途絶が数分間、2度にわたって発生したと言われている。
当初公表された「45度」の姿勢のズレとは、この時点での状態を言っていたと思われる。
巨大なステーションが一回転半する事態とは?
ジャイロがシャットダウンされると、暴走するナウカのスラスターに対抗するのは「ズヴェズダ」モジュールのスラスターに引き継がれた。ズヴェズダとは、ナウカが接続した本体側のサービス・モジュールだ。
ナウカのスラスター噴射は止まらず、その逆方向にズヴェズダのスラスターが噴射し続ける。この綱引きのような状態が続く45分の間、ロシアの地上管制はどうにかしてナウカを制御しようとした。
しかし、原因は究明できず、結果、ナウカのスラスターの燃料が切れたことによって17時29分、やっとISSの回転は止まった。最初に異常な姿勢が検知されてから、ちょうど1時間後のことである。
その間、ISSの回転率は毎秒0.5度を超えることはなく、搭乗クルーが回転を体感することもなかったという。
ただし、結果的にISSは540度、一回転半のバック転をしたことになる。ISSのサイズはサッカーコートとほぼ同じであり、ナウカがドッキングした状態のISSの総重量は、おそらく450トンを超える。これほど巨大なステーションが、たった1時間で一回転半、回転したのだ。
前回の当コラムでは、ナウカとの綱引きを、ロシアの無人補給機「プログレスMS-17」が主に担ったと書いたが、その後の情報ではこのモジュールのスラスターは、最終的な姿勢補正に使用されたようだ。
いかに危険な状態だったか
今回のインシデントの原因に関する新情報はあまりない。
予期せぬスラスターの噴射は、ドッキングが完了したナウカとISSのハッチを開ける準備時に発生したもので、「一時的なソフトウェア障害」のために、モジュールのスラスター(エンジン)のコマンドが誤って操作したことが原因だと、ロスコスモスは説明している。
また、この事態が発生したときから現在に至るまで、ISSには船長である星出彰彦氏を含む7名が搭乗しているが、ロスコスモスは「現在はISSとナウカはすべて正常な状態だ」とコメントしている。
ただし、今回の事態がいかに危険なものであったかは容易に想像がつく。
▼空気漏れや構造破壊 クルー脱出も不可能に
一次的には、ナウカとISSとの接続部の破断、歪み、そこからの空気漏れが起こり得る。今回のようにジャイロが停止されていなければ、そうした構造的な破壊は他の部位にも発生した可能性がある。
また、無重力であっても、船体が回転すれば遠心力は発生する。今回の回転レートはさほど速くはなかったようだが、このレートが上がれば、太陽光パネルや熱放射用のパネルなど、構造的に脆い部位は脱落する恐れもあるだろう。老朽化が進んでいるISSでは十分に起こり得る事態だ。さらに、船体の回転が速まれば、脱出用宇宙船のアンドッキングも難しくなるだろう。
▼電力不足、地上との交信断絶
太陽光パネルは、常に適正な方向に向けられているが、ISSが想定外の回転に陥れば、発電ができず、これが長時間続けば電力不足が発生し、緊急事態であるにも関わらず、さまざまな機器をダウンしていく必要に迫られる。
また、アンテナが正しい方向に向けられなければ、今回実際に起こったように、地上管制との交信が途絶えることになる。
▼地球に向けて落下
今回、ISSは回転するにとどまり、軌道から大きく外れることはなかったようだが、これは、ナウカがISSの重心から比較的離れた位置にドッキングしていたためだ。しかし、もっと重心位置に近いポジションに係留される計画だったとしたらISSは軌道から逸脱し、地球に向けて約1時間、ずっと高度を落とし続けたに違いない。
ISSが想定外の事故に見舞われたら?
あと10年ほどでやってくるISSの退役に備えてNASAでは、ISSの制御落下(計画的に大気圏に再突入させて宇宙機を燃やすこと)のプランが練られているが、現在、まだそれは確立してない。ISSが突然の事故に見舞われた場合、それを確実に破棄する段取りは、まだ準備されていないのだ。
ロシアはISSの運用から2025年に離脱する予定だ。アメリカなどは2030年までの延長を予定している。しかし、その間にさらなるインシデントが起こる可能性は低くない。これから本格化する民間人フライトのためにも、万全たる運用を期待するばかりだ。
【宇宙開発のボラティリティ】は宇宙プロジェクトのニュース、次期スケジュール、歴史のほか、宇宙の基礎知識を解説するコラムです。50年代にはじまる米ソ宇宙開発競争から近年の成果まで、激動の宇宙プロジェクトのポイントをご紹介します。アーカイブはこちら