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アマの歴史を背負った“幻のいも”復活劇 伝統野菜再生の歩みとは

 大阪に隣接し、阪神工業地帯の中核的存在として知られる兵庫県尼崎市。略して「アマ」とも呼ばれる下町風情が色濃く残る町中にも、実は農地が点在する。そこでは伝統野菜の復活に取り組み、ブランド化を目指す動きが進む。その一つが「尼(あま)藷(いも)」。尼崎発の焼酎の原料としてよみがえった。伝統野菜再生の歩みからは、土地の歴史が見えてくる。(河合洋成)

尼藷畑で栽培に精を出す高寺秀典さんら=尼崎市内
尼崎の伝統野菜生産地
尼藷を原料にした焼酎「尼の雫」と武庫一寸ソラマメの「やみつきオイル漬」
あまやさい

 公害地域再生のシンボルに

 市西部の住宅街の一角に尼藷を育てる畑がある。

 手がけているのは、JA兵庫六甲の尼崎伝統野菜部会の部会長、高寺秀典さん(71)。「栽培は大変だけど、ボランティアに協力してもらい、維持できています」と汗を拭う。

 春に植えた種イモは、夏真っ盛りを迎えて青々とした葉を広げ、秋の収穫を待っている。

 一体、尼藷とは何なのか。サツマイモの一種で、江戸時代、寛政年間(1789~1801年)の新田開発により、現在の阪神尼崎駅付近の村で植えられたのが始まりとされる。

 その後の運命はこの土地の工業化とも関係が深い。

 もともと臨海部で栽培されていたが、農地の工場用地への転換が進んだところに、残った農場も昭和9年の室戸台風、25年のジェーン台風の直撃を受けた。ほぼ“絶滅”の状態になったという。

 その後、市内の大気汚染の深刻化により起きた尼崎大気汚染公害訴訟の原告団が「公害地域再生のシンボル」として、約20年前に尼藷を復活させようと栽培を始めた。

 そして平成17年、市やJAが本格的な復活プロジェクトに乗り出した。農林水産省から苗を譲り受け、市内農家に栽培を託した。

 焼酎には最適

 ただ、収穫できる量は限られていた。「幻のいも」としてアピールしようとしたものの、なかなか販路拡大につながらない。

 そこで、発案されたのが、芋焼酎の開発だった。元市職員で代々農家だった高寺さんのもとにも、市側から協力依頼が届いた。

 「絶滅したといっても細々と残っていて、子供のころは芋がゆにして食べていたよ」

 高寺さんも思い出をたぐりながら栽培を始めてみたものの、尼藷栽培は思いの外難しかったと振り返る。

 「うっかりしていると、めちゃくちゃ大きくなる『暴れイモ』。手ごろな大きさで収穫しないととんでもないことになり、売り物にならない」

 生食や調理には向かなかったが、糖度が低いことが焼酎づくりに適していた。まろやかな風合いに仕上がったのだ。銘柄名は市民公募で「尼の雫」に決まり、20年3月、尼崎酒販協同組合によって2500本が初めて販売された。

 「うれしかったね。自分たちの酒だって。尼崎の特産として土産にもなるから」(高寺さん)

 その後、栽培農家数は増減を繰り返し、今年度は4戸が約2300平方メートルで栽培する。小規模ながら、ここ数年は年間1トン以上を酒蔵に出荷しており、焼酎は尼崎ブランドとして定着するようになった。

 農業の維持に課題

 尼藷のほかにも、市や同JAが復活に力を入れている伝統野菜がある。「武(む)庫(こ)一(いっ)寸(すん)」と呼ばれるソラマメと同市東部で作られている「田能の里芋(さといも)」だ。

 武庫一寸は、豆粒が約1寸(3・3センチ)になるためその名が付いた。天平8(736)年、来日したインド僧が行基上人に渡した「王墳豆(おたふくまめ)」を摂津・武庫村(現・尼崎市)で試しに作ったとのいわれがある。

 戦後、栽培は衰退し「幻の豆」となっていたが、尼藷の復活プロジェクトと同時期に栽培が再開され、昨年度は21戸約6千平方メートルで育てられ、約2500キロの出荷実績がある。収穫期は5月中で短いため、長期間味わえるよう、市内イタリア料理店の監修で瓶詰の加工品「一寸そらまめのやみつきオイル漬」としても商品化する。

 伝統野菜の復活は地元での農産物への関心を高めるのに一役買っている。しかし尼崎市も、大阪と神戸に挟まれた阪神間の住宅都市の一つだけに、農業の維持が難しいのも現実だ。同JAによると、人口約46万人の尼崎市の農家は約300戸。栽培面積は市域の約2%しかなく、後継者不足にも直面している。

 尼藷栽培も、市が募集するボランティアによって支えられている。同JA尼崎営農支援センターの営農相談員、大西真澄さん(28)は「尼崎の農業の未来に危機感はある。なくなっていくのを見るのはつらい」と話し、起死回生の一手を模索する。伝統野菜が語るのは、その土地の歴史。よみがえった尼藷を未来につなげたい考えだ。

 尼崎市とJA兵庫六甲は、市内農産物を「あまやさい」と名付け、地域の市場、スーパーなどに送り出している。尼藷などの伝統野菜とは別に、コマツナやホウレンソウ、ネギ、ミズナなどおなじみの葉物をPRしている。

 「市民に地元の新鮮な野菜を知って、買って、味わってほしいから」と令和元年度から始めたブランド。ロゴマークの入った包装で販売する。

 同市農政課の担当者は「市内産青果の売り上げが伸びれば農家の収益増になり、点在する農地の維持にもつながる」とブランド化について説明。都市農業の衰退にどう歯止めをかけるか腐心する。今年度からはまた、「農福連携」にも乗り出した。市内の障害者福祉施設に農地を借りてもらい、野菜の生産、販売で収益に結びつける。同課は「反応は少なくない」と手応えを感じている。