幻の富嶽、ラジコン2タイプが初の編隊飛行 飛行機王、中島知久平の故郷で「RC航空ページェント」 零戦や隼の雄姿も (2/3ページ)

初の編隊飛行を前に待機する旅客機型(手前)と輸送機型(奥)の「富嶽」2機=3日、太田市(平田浩一撮影)
初の編隊飛行を前に待機する旅客機型(手前)と輸送機型(奥)の「富嶽」2機=3日、太田市(平田浩一撮影)【拡大】

  • 飛行を終え着陸する旅客機型「富嶽」
  • 着陸する輸送機型「富嶽」
  • 飛行するコルセアF4U-1A(米国)
  • 出番を待つ「ビンテージ・プレーン」などのラジコン飛行機
  • カプロニCa.100(イタリア)
  • 空を舞う輸送機型「富嶽」
  • 飛行するもう1機の零戦52型
  • 海外「大戦機」のコルセアF4U-1A(米国)
  • 「ジェット機」部門のA-10フェアチャイルド(米国)
  • 空を舞う日本の「大戦機」零戦52型
  • 日本の「大戦機」紫電改二一型
  • 海外の「大戦機」P-40(米国)

 「富嶽」の輸送機型と旅客機型は、中島飛行機を受け継ぐ富士重工業(現SUBARU)の元エンジニアら15人で結成する太田市の「富嶽を飛ばそう会」(正田雅造会長)が、設計図から手作りで復元した。

 輸送機型は戦時中、東南アジアに物資などを運ぶ目的だったとみられ、ラジコンは全長2・93メートル、全幅4・83メートルの木製で重量は18・3キロ、最大速度は時速110キロ。プロペラ6基に二重反転式の電動モーターを採用し、設計図の15分の1サイズ。垂直尾翼が特徴だ。旅客機型も木製で全長2・8メートル、全幅4・12メートル。設計図の12分の1サイズで、プロペラは同じく6基。

 富嶽は、もともと爆撃機として構想されたが、輸送機や雷撃機などの設計図も作製され戦後、尾島町(現・太田市)の中島本家で保管、知久平と親交のあった正田公威(こうい)さん=正田会長(69)の父=が預かっていた。飛ばそう会は、この設計図を基に爆撃機、輸送機、旅客機の3種類を手作りのラジコン模型として忠実に再現し、ラジコンファンらに披露してきた。1号機の爆撃機型は木製で全長3メートル、全幅4・33メートル。15分の1サイズでプロペラエンジン6基を搭載し平成12年に製作された。2号機の旅客機は23年、3号機の輸送機は28年に完成した。