主君を代えねば、武士とはいえぬ 7人の主に仕えた“二番手武将”のキャリアアップ (1/3ページ)

※画像はイメージです(Getty Images)
※画像はイメージです(Getty Images)【拡大】

 「名将」と呼ばれる偉人には共通点がある。「生き方ルール」とでも呼ぶべき信条をもっていることだ。「プレジデント」(2018年2月12日号)では、5人の名将の信条について専門家に考察してもらった。今回は藤堂高虎の「二番手を目指す」という信条について--。

 築城術を生かして、将来性の高い主君に仕える

 藤堂高虎は、時代の変化を的確に捉えながら身を処した、戦国武将屈指のユニークな人物だ。近江の土豪の次男として生まれた高虎は、浅井長政から徳川家康まで7人の主に仕えた。「武士たる者、主君を代えねば、武士とはいえぬ」と語ったといわれ、専門家、二番手的立場であり続け、最後は32万石余の津藩の大大名にまで上り詰めた。

 儒教思想が普及した徳川幕府時代とは違い、戦国時代は自身の働きを正当に評価してくれ、将来性も高い主君を選んで仕えるのはむしろ当然の時代だった。非常に優れた築城技術を持っていた高虎は自分を高く買ってくれて、自分の能力や特技をさらに磨けるような主君探しの転職を重ねたといってもいいだろう。

 高虎が生涯に築城した城は20を超えるといわれている。縄張り(設計)を担当した城には、江戸城、大和郡山城、丹波篠山城など、名城が多い。これは高虎ひとりの才覚によるものではない。その背景には彼の生まれた近江の石垣づくりのプロである穴太衆(あのうしゅう)や甲良大工という専門家集団の力があった。高虎には時間をかけてつくりあげた協力者がおり、他の武将には真似ができない独自の専門家集団のネットワークを構築していた。

主君を代えながらも、そのつど絶対忠誠を誓う