敵わないものと出合いたい。そんなものを傍に置きたい[硯箱/京都府京都市]

今回、原氏が用意してくれた愛用品は、「蒔絵硯箱」。「長く付き合うことによって、古いモノのエッセンスが自分に染み込んでいく」と話す。

今回、原氏が用意してくれた愛用品は、「蒔絵硯箱」。「長く付き合うことによって、古いモノのエッセンスが自分に染み込んでいく」と話す。

日本の工芸は、世界的に見ても突出している。

【ONESTORY】「僕は“印”つまりクラシックなハンコが好きで色々な意匠の篆刻(てんこく)を持っているのですが、印や印泥を入れる“箱”として使っています」。

そう話すのは、日本を代表するグラフィックデザイナー、『日本デザインセンター原デザイン研究所』の原 研哉氏です。

「桃山時代に作られた“蒔絵硯箱”です。愛用している日本製といえばこのあたり」と言う原氏は、この蒔絵硯箱を普段の道具として使い、身近な存在として常に見える場所に置いています。そして、この「硯箱」を例に挙げながら「日本の工芸は、世界的に見ても本当に緻密で繊細。これを作り上げる感性を誇らしいと感じる」と話します。そして、「世界にはもの作りに長けた国が多々ありますが、そういう国々と比べても日本の技術や感性は格別」と言葉を続けます。

一方で「自分は骨董マニアでもなければコレクターでもないし、専門家でもない」と言います。この原氏の姿勢にはむしろ独特の審美眼を感じます。

つまり、時代がついているからいいとか、評価の定まった仕事だからいいというような目線でものの善し悪しを決めていないのです。では、何を基準にモノと付き合っているのか。

それは、「自分が敵わないもの」かどうかということ。

丁寧に描かれた蒔絵、絶妙な三次曲面。時間をかけて丁寧に作られた職人の仕事。

丁寧に描かれた蒔絵、絶妙な三次曲面。時間をかけて丁寧に作られた職人の仕事。

「この“硯箱”とは、京都の新門前の古美術店で出合いました。骨董品選びには、馴染みのお店を持つことや店主との関係も大事だと思います」と話す原氏。

「この“硯箱”とは、京都の新門前の古美術店で出合いました。骨董品選びには、馴染みのお店を持つことや店主との関係も大事だと思います」と話す原氏。

時間をかけないとできない手仕事。その作品が手元にある豊かさ。

「蒔絵で描かれた植物の精緻で優雅な造形。かなりの技術を持った人が、安定していい仕事をした時の成果というか、相応の時間をかけないとできない仕事。それが時を経て大事にされ続けて、今に残ってきているという事実にまず感動します」と、原氏は話します。

現在の精密機器をもってしても追いつかない。手間をかけ、培った技を伸びやかに発揮しつつ、丹精を込める。だからこの「硯箱」はずっと尊重され、結果として今ここに残っている。つまり、モノを納める箱という役目を果たすだけではなく、伝統や技術の無言の代弁者でもあるのです。それが今、ひとりのデザイナーの手に渡ったのも運命だったといえます。

「仕事柄、世界を旅することが多いのですが、ついふらふらとアンティークの集まる一角へと吸い寄せられてしまう。例えば、パリならクリニアンクール、フィレンツェならベッキオ橋周辺、香港ならハリウッドロード……。いずれも由緒正しい骨董品店ではなく、偽物だらけのいかがわしい文化ウイルスが湧き出している場所です。しかしなぜか心が潤ってくる。古い時代のものに触れると、かつての才能たちが、もの作りを通してせめぎ合った痕跡を感じます。あざといものでも真っ当なものでも、作られてそこに集まってきたものたちのさざめきを、懸命に受け止めつつ漂っているのが楽しくて、疲れていてもなぜか足が向いてしまいます」と原氏は話します。

疲れていても招き寄せられる。それは、古いものたちとの一期一会が「自分のエネルギーを知らず満たしてくれる」からです。

「大半の店は怪しい品を扱っているわけですが、保証されているものを買うものも、混沌の中から何かを探し出す方が楽しい。本物かどうかも大事ですが、それよりも自分が“敵わない”と思える対象と出合いたい」。

滑らかな曲線を描く角の丸みや寸分の狂いもなくぴたりと収まる蓋と箱。この手触りは数百年前のもので、現代の工芸ではなかなか味わえない。

滑らかな曲線を描く角の丸みや寸分の狂いもなくぴたりと収まる蓋と箱。この手触りは数百年前のもので、現代の工芸ではなかなか味わえない。

緻密に描かれた蒔絵は、経年変化によって味わいを増している。

緻密に描かれた蒔絵は、経年変化によって味わいを増している。

「実際に手で触れることが大切。この“硯箱”に毎日叱られている」と、原氏。

「実際に手で触れることが大切。この“硯箱”に毎日叱られている」と、原氏。

古いモノは未来の資源。美術品は自分の寿命より圧倒的に長い。

「本当にきちんとした美術品は、美術館にあります。美術館に展示されているものは確かに格別に素晴らしい。だからこそ美術館へ行くのは楽しい。ただ、この硯箱はそういう美術品として扱ってはいません」と、「硯箱」について話す原氏。

「僕らがおののくようなもの作りをしていた時期は、日本では平安、鎌倉あたり。室町、桃山と徐々におおらかになってきて、江戸ではどかんと大衆化し、現代はもうかなり堕落しているかもしれません。しかし、当然のことながら、その時代に戻ることはできません。僕は、この“硯箱”が傍にいてくれることによって、かすかながら昔のもの作りの消息とつながっている気がするのです。日々使うことによって、“硯箱”からたしなめられているように感じますし、発見もあります」と、原氏は話します。

「硯箱」は400年ほど前のもの。時空を超えて原氏の手元にやってきたという偶然は、作り手はもちろん、誰も想像できなかったことです。

「これを眺めていると、“お前はほんとに最低だな”“デザインなんてどうしようもないな”“価値というものがわかっているのか”と叱られているような気がします」と原氏。

ここで原氏が言う「眺めている」とは「対話」をすることです。この感覚は、「使う美術」だからこそ。

「美術品は人(自分)の寿命より圧倒的に長い」と言う原氏は、「僕の人生という、ほんのわずかな時間、道具として付き合ってもらっている」と、自分と硯箱との関係について話します。

「未来永劫、自分のものとして残したいというような気持ちはありません。やがては歴史の文脈に勝手に戻っていくでしょうし、そうなればいい」と原氏は言います。

そして、そう考える理由として、「古いものは未来資源だからです」とも話します。

古いモノといえば、伝統や歴史など、過去を振り返るという印象を抱きますが、「未来」という言葉の選択と視点は原氏ならでは。

「現代アートやキレのいいキュレーション、洗練されたデザインも好きですが、古いモノや美術品は“別腹”かも。日本の美術は、平安、鎌倉、そして室町、桃山と時代を経て形成されてきたわけです。日本の感受性は、そこから現代に流れてきたもの。ですから古い時代のものに触れることで、日本人としてのもの作りの血が騒ぐというか、意欲を掻き立てられるのです。数百年の時を生き続けるクリエイティヴへの野心のようなものかもしれません」。

「国は小さい方が格好良い。大国はなんだか醜いし恥ずかしい。日本は大きくなりすぎたかもしれない。世界は経済大国になる前の日本を知らないし、日本人もそれには疎い」と話す原氏。「だからこそ、これから少しずつ勉強しなくてはいけない」と言葉を続ける。

「国は小さい方が格好良い。大国はなんだか醜いし恥ずかしい。日本は大きくなりすぎたかもしれない。世界は経済大国になる前の日本を知らないし、日本人もそれには疎い」と話す原氏。「だからこそ、これから少しずつ勉強しなくてはいけない」と言葉を続ける。

原 研哉氏が考える、「ジャパン クリエイティヴ」とは。

原氏は「これからは世界中から日本を訪れる人がどんどん増えていきます。従来の観光という言葉では表現できない新たなツーリズムの時代がくると思います」と話す一方で「世界はまだ日本を知らない」とも。

「グローバル化が進んできていますが、“グローバル”という文化はありません。文化の本質は常に“ローカル”なものにあります。そういう意味ではグローバルとローカルは一対の概念かもしれません。グローバルになればなるほど、ローカルの価値が際立つのです。例えば、世界のインフルエンサーに共通しているのは、“常に旅をしている”こと。グローバルに動き回っているからこそ、ローカルの価値に敏感になれるのです」と原氏。

では、何をどうしなければならないのか。それは、「日本に昔からあるものを未来資源として活用して行くことが大切」と、原氏は話します。

「地方創生は本当にできるか。これは今、かなり重要な課題だと思います。しかし、闇雲にお国自慢をしたり、例えば『ミラノサローネ』に戦略もなく出展したり。これらはあまり効果を生まないと思います。ひと時の花火として終わってしまい、持続していく糧にはならないでしょう。どうしたら世界の人々に“日本の価値”を理解してもらえるかの仕組みを、入念に、したたかに考えることが必要だと思うのです」とも話します。

更に原氏は、ツーリズムの主要な要素のひとつは「移動の拠点」にあると言葉を続けます。

「可能性を感じているもののひとつは日本の国際空港です。海外から訪れる人がそこを通過しなければ出入国できないこの場所を、ただの通過点に留めておくのはもったいない。日本のショーケースとして、地域の価値を表現する場として活用できるならここに大きな可能性がある。

例えば、“さしこ”や“かすり”などの織物は、当時は庶民が極めた技術であり美です、それが今でもまだ残っている。陶磁器も、昔の品質を再現しながら今の時代の陶磁技術を深めようとする若い世代も出始めています。指物師の技術もまだ冴えている。そんな現代日本の工芸の販路を世界に広げてみたい。

戦後数十年、日本は製造業でやってきた。いわゆる原料を輸入して工業製品として輸出を行う「加工貿易」が主流でした。しかし、状況は刻々と変わっていきます。「ラジカセ」が3,500円ほどで売られていた現実を目の当たりにして愕然としたことがあります。こういうものをこの値段で売らなきゃいけないなら製造業はもう末期に来ているわけです。同じ金額の飲食サービスなら“うな重の上”あたりでしょうか。うな重なら、気に入ってもらえば、次の週にまた食べるかもしれない。 フランス人が日本に来てうな重を食べれば輸出です! テクノロジーは大事にしないといけないですが、優位のある文化との組み合わせが大事なのです。

自分の中に育ちつつある構想として面白いのは、日本列島の半島の先をつないで行く移動インフラ、“半島空港”。かつて半島は、海からやってくる情報をキャッチするアンテナだった。しかし今は最も行きにくい場所。しかし三方を海に囲まれた場所は、素晴らしい異界。そういう異界に、見たこともないようなホテル空間や充実したもてなし、そして食のサービスを展開してみたい……。いつ実るかはわかりませんが、そういう方向を今は見ている」。

もはや、デザインの領域を超えたデザイン。工業化時代のデザインが「モノ」のデザインだとしたら、ツーリズムの時代は「コト」のデザインかもしれません。

「基本的にはグラフィックデザインが主な仕事でしたが、グラフィックデザインが必要とされるのは、プロジェクトの最後の最後。自分の仕事を生き生きとさせるには、その下地から作らないといけない。畑に例えるならば、土を耕し、種を蒔き、作物を育てる……。そんなことを考えるうちに“コト”のデザインの方が、自分の仕事になってきました。依頼された仕事だけデザインをしていたら未来は作れない。未来を結実させるような構想の力を持ったデザイン、したたかな根っこのデザインをやっていかなければならないと思っています」と原氏は話します。

「瀬戸内海は島々が程よい距離で点在し、それらはフェリーで巡るには格好の距離感である。景観も、島を吹き抜ける風も本当に心地良い、日本の国立公園第一号。列島というと世界の人はエーゲ海を想像するらしいが、エーゲ海とは全く違う繊細さを持っている」と言う原氏は、岡山県出身。

「瀬戸内海は島々が程よい距離で点在し、それらはフェリーで巡るには格好の距離感である。景観も、島を吹き抜ける風も本当に心地良い、日本の国立公園第一号。列島というと世界の人はエーゲ海を想像するらしいが、エーゲ海とは全く違う繊細さを持っている」と言う原氏は、岡山県出身。

千数百年、ひとつの国として在り続けた日本の「蓄積」こそ、ジャパン クリエイティヴ。

日本の歴史は世界の中でも稀に見る古さです。千数百年もひとつの国であり続けたことによる文化的蓄積は半端ではない。フランスのブルボン王朝ができたのは室町時代。日本の方がずっと古い」と原氏。更に「東西南北に広がる列島は自然や季節の変化に富んでいて、いたる所に温泉が湧き出し、和食は今や世界に注目され、高度なホスピタリティも熟成されている」と言葉を続けます。

「例えば、中国4,000年の歴史と言いますが、それは様々な国々が存亡を繰り返し、文化が分断され続けてきた歴史。掘れば何か出てくるかもしれないけれど、継続的に蓄積された文化という意味で日本はやはり特別なのです。文化、伝統、自然、技術、風土など、その全てが日本の未来資源です。世界はそういう日本をまだ知らないし、実は日本人がまずそれを自覚していない。日本の資源や地域の本当の価値を表現していく方法を探さないといけないと思います」と話す原氏は、もはや何屋なのか!?

「デザインは好きですが、デザイナーになるとは思っていませんでした。強いて言うなら“デザインを携えて生きる人”ですかね。でも今は、デザイナーという職能の意味を拡張したいと思っています」。

そして今、資源は現代に生きる我々に託されています。原 研哉氏が考えるジャパン クリエイティヴとは、先人たちが絶やさなかったからこそ、今なお積み重ね続けられている日本の「蓄積」なのです。

言葉の一つひとつをじっくりと丁寧に紡ぎ出しているのが印象的だった原氏(右)。「モノ」のデザインと同様に「コト」のデザインも重視する。

言葉の一つひとつをじっくりと丁寧に紡ぎ出しているのが印象的だった原氏(右)。「モノ」のデザインと同様に「コト」のデザインも重視する。

1958年岡山県生まれ。『日本デザインセンター』代表取締役社長。武蔵野美術大学教授。 日本グラフィックデザイナー協会副会長。外務省「JAPAN HOUSE」総合プロデューサー。主な活動は、2000年「RE-DESIGN-日常の21世紀」開催、2004年「HAPTIC-五感の覚醒」開催。2002年より無印良品のアドバイザリーボードのメンバーとなりアートディレクションを担当。2005年「愛知万博」の公式ポスターを制作。2007年、2009年にはパリ/ミラノ/東京にて「TOKYO FIBER - SENSEWARE展」開催、 2008~2009年にはパリ/ロンドンにて「JAPAN CAR展」開催。2011年「HOUSE VISION」の活動を開始し、2013年、2016年に東京展を開催。2012年「犬のための建築展」開催、2014年「TAKEO PAPER SHOW 2014 SUBTLE」開催。2011~2012年には北京を皮切りに「DESIGNING DESIN 原研哉 中国展」を巡回。2016年にミラノトリエンナーレにて、 アンドレア・ブランツィと「新先史時代-100の動詞展」を開催。また、蔦屋書店やGSIX、羽田空港等のブランドデザインや、地域のアイデンティティに関わる仕事をしている。主著に、「デザインのデザイン(岩波書店)」「日本のデザイン(岩波新書)」「白(中央公論新社)」「白百(中央公論新社)」などがある。

https://www.ndc.co.jp/hara/

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