道具が表現レベルを後押しする レッジョ・エミリア教育に示唆された保育園 (1/3ページ)

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 「弘法は筆を選ばず」は、名人は自作の良し悪しの要因を道具に求めない、という意味で使われる。幼少時代、「この小さくなった色鉛筆を最後まで使いなさい」と親に言われた人も多いかもしれない。

 親は子どもを弘法のような名人であると思うことなど滅多にないはずなのに、それこそ親自身が凡人であるのが大半なのに、弘法の言葉を引き合いに出してくる。

 どうして、それほどに非現実的なことを追い求めるのだ? 凡人であればあるほど、道具で補完した方が良いのではないか?

 乳幼児を対象にしたイタリアのレッジョ・エミリア教育をテーマにしたシンポジウムが5月26日、代々木公園内の「まちの保育園」で開催された。イタリアからレッジョ・チルドレンのトップのジュディチさんも登壇。

 本連載でも何回か紹介したが、レッジョ・エミリア教育はレッジョ・エミリア市で半世紀近く前にスタートしたアプローチだ。日常生活での「探索の面白さ」を教えることで、1人1人の子どものうちにさまざまなコミュニケーション回路をもたせ、結果的に選択肢の多い人生を送る準備ができる。

 この教育の現場では、道具がとても大事だ。絵を描くにも沢山の種類のサイズと質の紙があり、数多くの種類の鉛筆やペンが揃っている。例えば、黒い紙に黒いペンで木々を描いた4歳の男の子は 「夜の森を描いた」と語る。

 道具が表現レベルを後押しする。

レッジョ・エミリア教育は実践知