【乃村工藝社会長の足跡:前編】酒も飲まず“夜の銀座”に半世紀通った理由 (1/4ページ)

乃村工藝社の渡辺勝会長
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 情報の宝庫「夜の銀座」に通う

 1990年代にバブルが崩壊するまで、東京・銀座の夜は、様々な人で賑わった。高所得の医師や弁護士、外交官、大企業の創業家の御曹司、文壇を代表する作家、そして政治家の秘書。取り巻きも続く。そんな世界だから、虚実が混ざった「情報の宝庫」だった。

 その銀座へ、ひんぱんに足を向けた。くつろぐためではない。大事なお客をもてなすと同時に、会話と情報の渦のなかから、世の中の次の姿をつかむヒントを得るためだ。酒は、ほぼ飲まない。バブルの崩壊は、部長時代の四十代だ。

 博覧会のパビリオンや自動車ショーなどの飾り付けから、百貨店の内装、店頭での「POP」と呼ぶ広告や仕掛けまで、ディスプレー業界の国内市場は、いま2兆円に迫る。創業1892年の乃村工藝社は、最大手だ。

 乃村には、大学時代からアルバイトに通い、POPづくりに参加した。一方で、様々なアルバイトで貯めた資金で喫茶店を持ち、その収入で初めて銀座のクラブへいったのが二十歳。父は酒類店を営み、酒はすぐそばにふんだんにあったが、家族は商品に手は伸ばさない。入社したとき、職場で「居酒屋にはいかない」と宣言した。アルバイト時代、居酒屋で愚痴をこぼし、人事の話ばかりをしているサラリーマンたちをみて、「ああは、なりたくない」と決めていた。銀座通いも、最初は自腹。でも、仕事ぶりが認められ、2年目から交際費が使えるようになる。

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