そのヒントは「水戸黄門」にあり “メンタルが強めな人”にある3つの超感覚 (2/4ページ)

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 「首尾一貫感覚(SOC)とは、その人に浸みわたった、ダイナミックではあるが持続する確信の感覚によって表現される世界(生活世界)規模の志向性のことである。それは、第1に、自分の内外で生じる環境刺激は、秩序づけられた、予測と説明が可能なものであるという確信、第2に、その刺激がもたらす要求に対応するための資源はいつでも得られるという確信、第3に、そうした要求は挑戦であり、心身を投入しかかわるに値するという確信から成る」(アーロン・アントノフスキー著『健康の謎を解く--ストレス対処と健康保持のメカニズム』)

 首尾一貫感覚を支える「3つの感覚」

 この「3つの感覚」について、まずは大枠でイメージをつかんでいきたいと思います(※)。

 感覚その1:把握可能感(Sense of Comprehensibility)

 日々の生活や人生で起こることはだいたい「想定の範囲内」であり、想定外のことが起こっても自分はそれを把握できるという感覚です。学術的には、「自分の置かれている状況をある程度理解できている感覚」「今後の展開をある程度予測できる感覚」「その出来事がどのようなものなのか説明できる能力」などと説明されています。

 感覚その2:処理可能感(Sense of Manageability)

 課題やトラブルを前にしても、自分や周りを巻き込みながら乗り切れるという感覚です。学術的な説明では「ストレスと感じる出来事に対してなんとかなる」「なんとかやっていけると思える感覚」ということになります。なぜ「なんとかなる」という感覚を持てるかというと、困難を乗り越える時に必要となる“資源”(相談できる人やお金、権力、地位、知力などをまとめてこう呼びます)があり、それをタイムリーに引き出せる自信があるからです。アントノフスキー博士は、このような“資源”を「汎抵抗資源」と名づけましたが、ここでは、わかりやすく“資源”、もしくは「仲間と武器」と表現しようと思います。

 感覚その3:有意味感(Meaningfulness)

 自分の身に起きるどんなことにもすべて意味がある、という感覚です。学術的な説明では「自分が直面する問題の解決に向けた努力や苦労のしがいも含め、やりがいや生きる意味を感じられる感覚」「目の前の問題を挑戦と見なせる感覚」となります。

 「水戸黄門」に見る首尾一貫感覚の要素

 首尾一貫感覚を考えるうえで、面白いヒントの1つになるのが『水戸黄門』などの時代劇ドラマです。 主人公の「ご隠居」黄門様は、全国津々浦々を旅しながら庶民の暮らしを見てまわっています。ところが、そんな旅先の村で、人々の平和な暮らしを壊そうとする悪代官などの悪政や悪行を目にすると、その実態を探るべく、ウラ事情をくまなく調査します(把握可能感)。

「首尾一貫感覚」の要素を満たす構成