【希少がんと共に生きる】手術から丸2年 筆者が得た「キャンサーギフト」とは  (1/5ページ)

出勤前、筆者(左)の切れた皮膚の上から絆創膏を貼る3歳の娘=12月14日、東京都内の自宅
出勤前、筆者(左)の切れた皮膚の上から絆創膏を貼る3歳の娘=12月14日、東京都内の自宅【拡大】

  • 平成28年12月28日のがん告知の際、執刀医が筆者に示した「症状・治療・経過説明書」。右の説明書の下に「StageIV」と書かれている(坂井広志撮影)
  • 友人からもらった数々の皮膚に塗るクリームやローション。この2年間、試行錯誤の連続だった(坂井広志撮影)

 12月19日、小腸がんの手術から丸2年を迎えた。平成28年12月13日、水戸支局でデスクをしていた筆者は何度も嘔吐(おうと)を繰り返していた。当時の様子は今でも鮮明に覚えており、思い出さない日はない。今改めて、怒濤(どとう)の2年前を振り返ってみたい。

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 吐き気は13日朝からあった。前夜、取材先の県議と焼き肉を食べたことを思い出し、「食べすぎたかな。二日酔いかも。徐々に吐き気はなくなるだろう」と高をくくっていた。だが、一向に吐き気は収まらず、トイレに何度も駆け込んだ。後に分かることだが、腸閉塞(へいそく)を起こしていたのだ。

 様子がおかしいと感じた庶務の女性は、外出中の北村豊支局長(当時)に、状況をメールで送信。夕方、取材先から支局に戻ってきた鴨川一也記者(現在、写真報道局所属)は、腹部に激痛が走り苦痛の表情を浮かべながら仕事をしていた姿を目の当たりにし、北村支局長に電話で「支局に戻ってきてほしい」とSOSを求めた。

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