「コピーされる経験」が人を変える オーソリティの言葉に耳を傾けるべき理由とは (1/3ページ)

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 【安西洋之のローカリゼーションマップ】オーソリティであるとは?

 誤解を恐れずに担当直入に言おう。あなたの意見をじっと聞く人間がいるということだ。時に敬意の視線をもって、時にこわごわと。卑近な例をあげれば、外国でその土地の人から「ニッポンのホンモノの寿司はどこで食べられるのですか?○○店はどう思いますか?」と聞かれる。それはオーソリティである証しだ。

 当初は「俺なんかがオーソリティでいいの?」と不安がある。それでも回数を重ねるうちに、自分の判断と表現に自信がついてくる。

 「あの店は中国人が握っている。日本の正統派でもない。でも、いわゆるナンチャッテとも言えない。新しい領域を作っているから評価できるかも」

 この見方は目が肥えてきた証拠だ。自分の文化の「コピーのされ方」について判断基準ができている。

 ここで立場を逆転させてみよう。

 これまで「日本の消費者は世界各地の料理を食べ馴れていて、舌が肥えている。ミシュランの星付きレストランが日本に多いのは、その証だ」とのセリフを頻繁に見聞きしてきた。

 食だけでなく、さまざまな商品やサービスで同様のことが言われる。日本のユーザーが満足した品質が1つの基準になるとも評される。それがガラパゴスの要因とも指摘されるが。

 こうした事実をもって文化への「感度の良さ」に言及するシーンをみるが、ちょっとひっかかる。感度にも2つの種類がある。1つは自国の文化の他国での採用のされ方への感度である。前述の寿司の例だ。もう1つが他国の文化の採用にあたっての感度だ。日本が強みとしてきたところだ。

ここでは1つ目の感度を話題にしたい