子育てに活かしたい、福沢諭吉の母の「当たり前の教え」 (2/3ページ)

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 諭吉の語るところによると、父が「何でも大変喧(やかま)しい人物であった」一方で、母は「決して喧しい六(むつ)かしい人ではない」と評しています。また諭吉は、「さっぱり、大らかで、とても慈悲深く、かつ極めて几帳面な性格だった」とも書き残しています。

 母・順との思い出には、このようなものがあります。母に、時折面倒を見ているチエという家なき子がいました。その子がたまに家に来ると、母は髪を整えてやり、頭のシラミを取ってあげた。幼い諭吉は、母のそのような行為をよく理解できなかったといいます。

 ある日のこと、なぜチエのシラミを取ってやるのだと諭吉が母にたずねると、母はこのようなにいいました。「チエはシラミを取ろうと思っても取れない。ならば、できる人がそれをしてあげればいい。それが当たり前のことでしょう?」

 諭吉はその言葉を聞いてハッとし、それまでの考え方を改めたといいます。

 母は、相手が貸したことをとっくに忘れていた頼母子講(たのもしこう。当時の民間金融の一種)の金2朱を、10年も経ってからわざわざ諭吉に返しに行かせたという話も伝えられます。母・順の、このような清廉潔白で正直な性格を、諭吉も大いに見習ったはずです。

 神仏を信じない性格は母ゆずり

 なお、母も「権威」ということに対しては懐疑的な見方を持っていたようで、「寺に詣でて阿弥陀様を拝むことばかりはおかしくて、決まりが悪くてできない」と常々いっていたといいます。幼い諭吉が神様からの罰を信じず、自分の養家に建っていた稲荷社の御神体の石や木札を捨ててほかのものと入れ替え、「馬鹿め、乃公(おれ)の入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでいる」と面白がったり、神様の名前が書いてあるお札を踏んで神罰に当たらないことを確かめたりしたことなどは、母から受け継がれた性格だったともいえるでしょう。

 いずれにせよ、福澤諭吉の進歩的かつ慈悲あふれた性格は、シングルマザーだった彼の母・順による献身的な子育てに、その一端が見出せるといえます。

「人として大切なこと」を教える