【教育、もうやめませんか】「学費」という概念のない学びの場をつくる 教育のコストは誰が負担すべきか (2/3ページ)

 若い才能の学びのコストを負担するのは、若い才能が創る未来によって恩恵を受ける共同体であるべきだという我々の信念がここにある。

 マナイの生徒はこれから多くを学び吸収し、時には障壁に当たり、困難を乗りこえ、多くの利害関係を解きほぐしこの世界を前進させ、より快適でそしてより自由で平和な社会を生み出すためのエンジンとなる。この恩恵にあずかるのは紛れもなく我々が属する共同体(もしくは社会自体という言い方もできる)なのだ。

画像はイメージです(Getty Images)

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 違う角度からこのことを別の言い方で表現すると「生徒は頑張って世の中を良くするお仕事をするのに、そのためのコストまで自分で負担するというと、それはなんだかおかしい話だ」ということだ。

誰がコストを負担するか

 マナイにおいて生徒の学びに関するコストを負担するのはマナイが創るコミュニティだ。マナイが創るコミュニティを構成し、費用面を含めて生徒をサポートするのが学外のメンターたる人々であり、マナイでは彼ら・彼女らを“Senpai(センパイ)”と呼んでいる。

 “Senpai”の役割は、生徒の進路相談を行ったり、生徒の研究を拡大させたり、生徒の学びの機会をより多く創出するための活動を行う。自らの研究室や企業に生徒をインターンとして招き入れたり、生徒の研究活動を支援するために“Senpai”それぞれが持つネットワーク内に働きかけてもらったりということを想定している。実際、既に実施しているマナイの季節プログラムや、放課後に参加できるサイエンスクラブ「Manai Lab(マナイラボ)」では盛んにこの “Senpai”たる人々と生徒は交流を行い、生徒によっては継続してメンタリングを受ける機会を得ている。

 “Senpai”は、若い才能の可能性を伸ばすことで世界がより楽しく、より自由になると本気で信じている人々だ。

〈“Senpai”の役割例〉

・支援生との交流関係

・学びのための財政支援

・ネットワークの提供

 私がこの “Senpai”制度を導入する上で自らに問いかけたことは、単に学費を無料にして経済的に豊かではない生徒が学べるようにするべきなのかということだけではない。一体誰が、将来この世界を導くであろう若い才能を育てていくべきなのかということだ。

 江戸文化研究者の田中優子氏は著書「カムイ伝講義」の中で江戸時代の「たくさんの親」について書いている。

 江戸時代には、一人の子供に対しては多くの「親」がおり、妊娠5カ月の帯祝いを巻く帯親、出生を介助する取り上げ親、生後初めて乳をつける(授乳をする)乳つけ親、名前を付ける名付け親、さらには子供を育てられない産みの親に変わって子供を育てる拾い親という仕組みもあったという。多くの大人が一人の子供と仮の親子関係を結び、その関係は生涯を通じて固い絆で結ばれるものが多かったという。

もう「学校」を増やす必要はない