高見国生の認知症と歩む

(21)義父の終末期に複雑な思い

 京都では五山の送り火も終わり、そろそろ秋の気配が出てくるころですが、夏の疲れも表れるころです。お互い気をつけて過ごしましょう。

 さて、前回は“症状改善が心労の種に”として、施設の善意の取り組みが家族の負担を増やす事例を取り上げましたが、私の友人は、義父の終末期でもっと複雑な思いをしました。

 義父は94歳で亡くなったのですが、それまでの10年間ひどい認知症症状に悩まされてきました。失禁だけでなく、夜になると「誰かが入ってくる」と家中の鍵をかけて布団などでバリケードを築いたり、向かいの女性が財産を狙っていると怒鳴り込もうとしたり…。体が元気だから、介護は困難を極めました。

 実の娘である友人の妻は最期まで在宅で介護をしたかったようですが、妻の疲れも見るに耐えず、彼は妻を説得し、ついに義父を老人保健施設に預けました。その頃から義父の体力が急速に衰え、寝たきりとなりました。意思疎通もだんだんできにくくなり、施設からはもうこれ以上看られないと言われ、いわゆる老人病院(療養病床)に入院しました。友人は、「やっと終わるか」と思いました。

 ところが、その病院が誠実に看護に当たってくれて、義父は少し意思疎通が図れるようになり、食事も口から食べるようになりました。妻は喜びましたが彼の気持ちは複雑でした。助かる見込みはないのに若干回復することに意味があるのか? 「やっと終わる」と思った気持ちに水をさされるようでした。

 今年、義父の初盆を迎えるにあたって、「あのときの自分は悪い婿だったのだろうか?」と友人は悩んでいました。「そんなことはないよ。これまでよく頑張ったじゃないか」と私は声をかけました。

【プロフィル】高見国生

 たかみ・くにお 認知症の養母を介護し、昭和55年に「認知症の人と家族の会」を設立。平成29年まで代表を続け、現在は顧問。同会は全国に支部があり、会員数約1万1千人。

 「認知症の人と家族の会」電話相談 平日午前10時~午後3時、0120・294・456

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