ゆうゆうLife

家族がいてもいなくても(626)老いてこその自己中心

 東京の家の片付けとベビーシッター役をいったん切りあげて那須に戻ってきた。

 その間には、1歳が熱を出して保育園に行けなかったり、7歳が急な体調不良で学校に行けなかったり…。今回ばかりは、「なんて、ばあばは、役に立つの!」状態が続いた。

 息子夫婦が「家に誰かいてくれるだけで、ほんと助かる」なんて言うし。「最近ご飯作るの、下手になった」とか、私が言うと、「そんなことは全然ないよ、美味(おい)しいよ」と9歳がけなげに言ってくれるし。

 なんだかもう、自分だけが好き勝手に生きているみたいな後ろめたい気分になって戻ってきた。

 ほんとうは声を大にして弁明したかった。

 「あのね、ばあばは、勝手をしているみたいだけど、老いてやっと究極の自己中心を生きる権利を手に入れたところなの。これ、やっとのことだったんだから」と。

 にもかかわらず、7歳にしみじみした口調で言われてしまった。

 「ばあばってさ、いいよねえ、いつも人形劇だけやっていればいいんだから」

 「そうじゃないのっ! 毎日、仕事もしているのっ、ばあばは、低年金受給者なの、働かなきゃ暮らせないの」と言いたいけれど、「そうね、ほんと好きなことばっかりだねえ」とにっこり笑って応じてきた。

 おおむね、元気な高齢者は、みな好き勝手に、悠々自適な年金暮らしを送っていると、世間の目には映っているらしい。

 ともあれ、那須に戻ってきて1週間、私はすこぶる体調不良。寒暖差アレルギーのせいか鼻水が止まらず、どこに行くにもティッシュの箱を抱えている。

 周りからは心配された。

 「大丈夫? 無理しちゃだめよ」とか。「いなくて、寂しかったよ」とまで言ってくれた人もいた。

 毎週末、私が住むコミュニティーの食堂で催される居酒屋には、近所の別荘住まいの友人夫婦が、美味しいロールパンをたくさん焼いて持ってきてくれた。やっぱり、同世代の友人と共(とも)に暮らすって、私にはかけがえがないなと思った。

 時には喧嘩(けんか)もするけれど、どこがどう大変なのか、言わずとも分かる「あうんの呼吸」の関係には不思議な安堵(あんど)感がある。

 暮らしはじめて、まだ2年、されど2年、こうして次第にここが自分の安住の場へとなっていくのだなあ、との思いがする。(ノンフィクション作家・久田恵)

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