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陽気な精神で明るくまた来年 サンバで彩る神戸まつり、中止も前向きに (1/2ページ)

 ブラジル発の情熱的なダンス「サンバ」のパレードで初夏の港町を彩る「神戸まつり」もまた、今年は新型コロナウイルスの影響で中止となり、迎える予定だった節目の50回目は来年に持ち越されることになった。人との接触が制限される中、日本サンバ発祥の地ともいわれる神戸の伝統や情熱を今後どうつないでいくのか-。まつりに関わるダンサーたちに聞くと、そこには不安とは対極の、サンバならではの前向きな精神が息づいていた。(中井芳野)

 継承に「不安ない」

 「延期は残念。年に1回、仲間と盛り上がれる同窓会が突然なくなってしまった感じ」。結成から51年となる「神戸サンバチーム」の現代表、西内俊介さん(45)はさびしそうにつぶやいた。

 コロナ禍の終息が見通せないなか、サンバ文化の継承に不安はないのか。そう尋ねると、「それはない」ときっぱり。

 「よく驚かれるんですが、うちのサンバは当日参加でも踊れます。派手な衣装を着て明るくステップしてもらったら、それで様(さま)になる。老若男女、サンバの極意は楽しむ心に尽きますから」

 始まりは道案内

 そもそも神戸のサンバはどうやって広がっていったのだろうか。西内さんの証言に基づいて歴史をたどってみる。

 時は昭和40年ごろ、神戸の元町商店街。貿易で神戸港に立ち寄ったとみられるブラジル人船員が、迷子になっていた。

 当時まだ10代だった西内さんの父、脩(おさむ)さんが途方に暮れている船員を目的地のメリケン波止場まで案内したところ、お礼として船内での食事に招待された。その際、船員たちからサンバの踊り方について手ほどきを受けたという。

 陽気なメロディーにのせて、腰やお尻を強烈に振るサンバ独特の踊り方に、脩さんは魅せられた。そして神戸まつりの前身「神戸カーニバル」で仲間と一緒にサンバのパレードを披露。一気に注目の的になった。

 一方で、脩さんは「ブラジル人のアイデンティティーにしみ込んでいるダンスやリズムは簡単にはまねできない」と悩んでいた。

 必要なのは日本風のアレンジ、和製サンバだ。そこで脩さんは、日本オリジナルのサンバ曲を作ろうと決意。観客もすぐに一体となれるようシンプルさを追求し、1分半ほどの曲に仕上げた。

 タイトルは「ビバサンバ」。歌詞はなんと3つのワードのみ。「ビバ」「サンバ」そして「神戸」だ。振り付けもほとんど足を左右にステップするだけとした。

 脩さんは作曲を機に同44年、国内初のサンバチームを結成。ビバサンバの単純明快さは、神戸の人々の心をつかんだ。脩さんは平成26年に63歳で亡くなるまでサンバの普及に力を注いだ。現在は長男の西内さんがその後を引き継ぎ、ビバサンバのメロディーとともに神戸サンバを牽引(けんいん)している。

 どこまでも陽気に

 神戸市などによると、神戸まつりでサンバが最盛期を迎えたのは30~40年前。神戸サンバチームだけでも楽器の演奏者らを含めて約1200人が参加、神戸の街をサンバのリズムで染め上げた。

 そんな陽気な祭典がこれまでに中止(一時延期)となったのは今回のほかに2回。最初は7年の阪神淡路大震災、そして神戸で国内初の感染者が出た新型インフルエンザの流行した21年のことだ。

 震災からの復興の過程や少子化などが進む中で、サンバ人口も減ったといい、神戸サンバチームの現在のメンバーは約400人。市によると、神戸まつりに出場するサンバチームは現在8つあり、全体の統計は取っていないものの、減少傾向にあるという。

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